2019-01-01から1年間の記事一覧

雨の降る日曜は幸福について考えよう

橘玲『知的幸福の技術』幻冬舎、2009 2004年に出た「雨の降る日曜は幸福について考えよう」を改題した本。全半部分は、もとは日経日曜版の連載で、資産選択や資産形成についての内容が中心。 後半部分は、政策論、正義論のような内容。著者のリバタリアニズ…

東洋史上から見たる明治時代の発展

桑原隲蔵『東洋史上から見たる明治時代の発展』 これはまあ、つまらない。大正になってから、桑原隲蔵が明治時代を絶賛した文章。日本は東洋一!というようなもの。当時の人だから当然だが、支那は遅れており、日本こそ支那を教え述ぶるもの、こんな時代はい…

時の流れ

鈴木大拙『時の流れ』 これは時間についてのエッセイ。時間はいつも流れていると見えているが、川の流れのように時間を外から眺めることはできないので、人間が時間を見ていると思っているのは、じつは時間の干物だという。 それでも人間の中には、「天上天…

僧堂教育論

鈴木大拙『僧堂教育論』 タイトルのままの内容、つまり僧堂教育をどのようにすべきかということが書いてあるのかと思ったらそうではなく、僧堂教育はありがたいということだけが書かれていて拍子抜けした。 著者も日本禅仏教など、ほとんど滅亡寸前であるこ…

民主主義の死に方

スティーブン・レヴィツキー、ダニエル・ジブラット(濱野大道訳)『民主主義の死に方 二極化する政治が招く独裁への道』新潮社、2018 これはけっこう書評にも取り上げられ、話題になっていた本。しかし読んでみるとバカっぽい。 前半の事実の叙述部分はそれ…

留魂録

吉田松陰『留魂録』 吉田松陰の遺書。冒頭に「身はたとい 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂」の辞世がある。 しかし内容は、ちゃんと注がないとわからないもの。中国の忠義の士くらいはいいとして、遺書だから具体的な人名や物事が出てきていて、…

村の学校

ドーデ(鈴木三重吉訳)『村の学校』 これ、青空文庫では「実話」と書いてあるのだが、読んでみるとどうも実話っぽくはなく、明らかに「最後の授業」の習作っぽい。「ハメル先生」が辞めたあとにきたドイツ人教師の「クロック先生」の話。 「最後の授業」が…

男の子を見るたびに「戦争」について考えます

小川未明「男の子を見るたびに「戦争」について考えます」 これもエッセイだが、よりアホっぽい。 内容は今生きている人でもいいそうなこと。戦争反対、男の子のことが心配だというもの。それに加えて、第3インターナショナルやキリスト教が平和の助けになる…

書を愛して書を持たず

小川未明『書を愛して書を持たず』 小川未明の本エッセイ。しかしこの文章、要するに蔵書は持たないと言っている。今のように図書館やら何やらにはあまり頼れない時代だが、だったら本は持たないというのはどうなのか。 金がなかった頃は蔵書の一部を売って…

書狼書豚

辰野隆『書狼書豚』 仏文学者の辰野隆のエッセイ。「悉く書を信ぜば書なきに如かず」の出典を知りたかったのだが、それはわからず、長谷川如是閑が、これをもじって、「悉く書を信ぜざれば書あるに如かず」と言っているということだけわかった。辰野隆は、「…

フェイクニュース

一田和樹『フェイクニュース 新しい戦略的戦争兵器』角川新書、2018 著者は、もとIT企業経営者、今はサイバー分野を中心とした作家。 題名は「フェイクニュース」となっているが、狭い意味でのフェイクニュースではなく、政治や戦争の道具として使われる情報…

1971年の悪霊

堀井憲一郎『1971年の悪霊』角川新書、2019 堀井憲一郎、1958年生まれだった。この本は、1971年の雰囲気(著者はこの年には中学生)を事件ベースで切り取ったというもの。著者が高校生、大学生の時には「残り香」みたいなものがあっただけだが、そのくらいの…

蒲壽庚の事績

桑原隲蔵『蒲壽庚の事績』 このタイトルになっている人は、宋代から元代、だいたい13世紀に生きていたおそらくはアラブ系の商人。宋の広州、泉州、杭州あたりは大きな貿易港となっていたが、そこに住んで南方、インド、アラブとの交易をしていたのはアラブ人…

戦後合格者

坂口安吾『戦後合格者』 坂口安吾の日本共産党についてのエッセイ。初出は1951年。 武装闘争路線の初期に書かれたもので、思い切り日共を批判している。無内容、他に対する不協力などなど、何を作る努力もせず、他人の作ったものを壊そうとするばかり、とい…

わが心の女

神西清『わが心の女』 これは神西清の短編。この人、創作もしていたのだ。 ロシアはちょっとした創作のツマにされているだけだが、ちょっとだけそれっぽい国として出てくる。しかし、この作品そのものは、あまりうまくいってはいない。服を脱いでいくのでは…

女人訓戒

太宰治『女人訓戒』 女が何々を食べたり身につけたりすると、その何々に成り代わったり、女にその性質が身についたりする、というバカ話。 辰野隆の本に出てくる話として、うさぎの目を人間に移植したら、移植された女は猟師を恐れるようになった、という話…

翻訳のむずかしさ

神西清『翻訳のむずかしさ』 ロシア文学翻訳者として著名な神西清のエッセイ。はじめに、韻文の翻訳は日本語ではうまくいかないという話をしている。それはそのとおり。 著者が批判しているのは、「単色版式翻訳」。つまり直訳。文芸作品の直訳はありがたく…

支那人の文弱と保守

桑原隲蔵『支那人の文弱と保守』 初出は大正5年(1915)。支那人は、文弱かつ保守だというのだが、文弱は多分に保守によるところが大きいように思われるので、文弱も多くは保守から出ているものだろう。 古今の書籍をひいて、戦争する気がまじめでなく、こと…

先生三人

太宰治『先生三人』 これはエッセイ。太宰治の文学上の師というのが三人いて、それが井伏鱒二、佐藤春夫、菊池寛だという。もともと、中條百合子が文学界の封建的な徒弟制度を告発した文章があって、それに応じて書かれたもの。 徒弟制度はあるのだが、太宰…

接吻

斎藤茂吉『接吻』 エッセイと論文の中間みたいな作品。道端でベタベタなキスをしている男女(ドイツで)を見たという話から、キリスト教の歴史でキスは昔から出てくるということになる。 では日本ではどうかといえば、当用の聖書では、接吻の語を「くちづけ…

不周山

魯迅『不周山』 これはよくわからない作品。注がないとムリ。 女媧は神話時代の中国の神様で、人間を作ったというものなので、そういう話になっているが、途中でいきなり戦争が起こったり、禁軍がやってきたりする。個別の名辞の意味がわからないとダメで、…

狐憑

中島敦『狐憑』 これは南洋のどこかのお話。漢学、まったく関係はない。しかしおもしろい。 主人公のシャク、ただの平凡な男だったのが、狐が憑いて、物語を語るようになった。最初は神のご託宣みたいなことだったのが、話がおもしろいので創作でもいいとい…

女類

太宰治『女類』 これは傑作。主人公が、屋台の主人の女将に惚れられてしまい、周りの男達に「あれはやめとけ」といわれる。その時に言われる言葉が、「人類と猿類ではなく、男類、女類、猿類がいるんだ」というもの。 結局、女は自殺。あいかわらずだ。そし…

羅生門

芥川龍之介『羅生門』 ひさしぶりに読んだ。やはりこれは名作。 主人公の下人、死体の髪を抜く老婆に道徳的な怒りを燃やしているが、これまでどうやって食べていたのか、よくわからない。髪を抜かれている死体になった女は、生きている時には蛇の切り身を干…

喝采

太宰治『喝采』 短編小説というよりはエッセイか。同人文芸誌の編集係をはじめて、そこの友人のことなどを書いている。酔って書いたということはないだろうが、改行がなく、ダラダラと文章が進み、非常に読みにくい。そういう効果をねらって書かれたものかも…

神代史の研究法

津田左右吉『神代史の研究法』 古事記や日本書紀に出てくる神代の記述をどのように理解すればいいのか、ということについての津田左右吉の小文。 まず、神代の出来事を、具体的な実物に比定することをやめろという。それは、現代の合理的な考え方をそのまま…

風波

魯迅(井上紅梅訳)『風波』 これも、魯迅の革命後の農村風景を描いた作。注はないので、場所はわからない。 作中の村には特別な習慣があり、子供が生まれると秤にかけて、その斤目で名前をつける。だから「七斤ねえさん」とか、「七斤」とかが登場人物。ほ…

夾竹桃の家の女

中島敦『夾竹桃の家の女』 この話、小説だと思っていたら、「随筆」に収録されているということなので、本当の話らしい。 中島敦がパラオに行って、土地の女に眼で誘われるという話。2歳の子供を抱えているのだが、そんなことはお構いなしに誘ってくる。中島…

楹虚

中島敦『楹虚』 使っている漢字変換ソフトで、「えい」(木偏のないもの)が出ない・・・。したがってタイトルがまちがっている。 春秋時代の衛の国、衛の霊公の子、荘公のおはなし。霊公もとんでもないが(この正室が孔子を誘惑したとかいう南氏)、この荘…

中国文学を学ぶ人のために

興膳宏(編)『中国文学を学ぶ人のために』世界思想社、1991 中国文学の入門書。定評のある本なので読んでみたが、非常におもしろかった。 この300ページあまりの本で、中国文学の全部の分野を時代に分けて紹介するのは大変なことだと思うが、やはり中国文学…