三国志演義1-7

三国志演義』1~7(井波律子訳)、ちくま文庫、2002-2003

井波律子訳の演義、ようやく読み終えた。思い入れというのはあるもので、劉、関、張と曹操が死んだ後は、残りを大切にしなくては、と思って読むペースが落ち、諸葛亮が死んだ後は、もうあとはオマケという感じになってしまって、さらにペースが落ち、けっこうな時間になってしまった。

おしむらくは、CCTV三国演義」を見る前に読んでおかなかったことである。今全訳で読んでみると、電視台の演義は、省略はあっても余計な追加は基本的にないことにあらためて感心。というか、本来そうでなくては困るのだ。日本の演義はどれも余計な追加がありすぎで、作者のカラーが表に出まくっている。翻訳であまりそういうことをしてほしくない。

その点、この井波律子訳のどこがいいかというと、「普通の現代日本語で書かれていて、余計な装飾がない」「注釈がきちんとしている」の二点である。岩波文庫小川環樹訳は、登場人物が江戸時代の侍のような言葉を使っていて、かなり興を削がれる。徳間書店の立間祥介訳はそれに比べるとずいぶん改善されているが、著者独自の調子がけっこう入っていて、これには好き好きがある。井波律子のは「あっさり訳」だが、演義を作家の創作ではなくて「翻訳」として読む人にとってはこれで必要十分だと思う。

また注釈は、中国文学者としての著者の知識が遺憾なく反映されていて、どの地名はこの時代になかった、どの官職名はこの時代になかった、この記述は底本がおかしいので「三国志」に従って改めた、という項目のひとつひとつに訳者の労苦を感じる。しかし、いくつか注釈については、存在自体が後の部分のネタバレになっているところもあり、あらかじめ読み手がストーリーを知っていることが前提になっているようだ。まあ三つ目の全訳ということを考えれば妥当な方法でしょう。

以前に立間祥介訳を読んだのはいつのことか、もう5年どころではないような気もするが、よい訳本にまた会えてよかった。訳者に感謝。