東條英機と太平洋戦争

東條英機と太平洋戦争』佐藤賢了文藝春秋新社、1960

陸軍中将、陸軍省軍務局長、東京裁判A級戦犯として終身刑、1956年釈放、のち東急管財社長という著者による、出獄後最初の著書。東條英機の側近として「三奸四愚」と呼ばれた人物だけあって、東條英機の人物や、太平洋戦争開戦直前の東條英機の行動については細かく書かれている。もっとも、著者が立場上公正な記述をしているかどうかについては、自分にはわからない。

特に詳しく書かれているのはやはり開戦直前、著者が陸軍省軍務課長当時の陸軍内部、政府や海軍関係の人物の動きである。戦争回避のために著者や東條英機らの人々が非常な努力を払ったことが縷々述べられている。

しかし読み終わってみると、やはり「言い訳」感はぬぐえない。著者は「アメリカの罠」を強調し、なおかつ「戦争にひきこまれた我らの愚かさ、弱さ─自主独往の精神にかけたことを悔むのである」というが、愚かさ、弱さと、自主精神に欠けることがどうつながるのかよくわからない。その前の部分で、日本が侵略の意図を有しておらず(アジア地域を領有しようとの意図はなかった、というほどの意味)、結果的にアジア独立を助けたという主張が強調されているだけに、それなら戦争への決断は日本の主体的なものだったのではないか?という感が強い。

さらに、アメリカが日本の受け入れられない譲歩を要求してきたという事実を強調するにもかかわらず、譲歩を拒否して戦争に出た場合の勝算についての判断の根拠は非常に弱い。「船舶の損失さえもっと少なければ」「海軍が船舶損失については保証していたので、それを受け入れるしかなかった」というのみである。著者はアメリ駐在武官でもあったのだから、アメリカが戦時動員をかけてくれば、「長期不敗」の見込みは立たないことくらい十分計算できたはずで、それができていないのは怠慢のそしりを免れない。特に、著者が対ソ戦への陸軍の動きを断固として阻止したことを強調しているだけに、それならなぜ対米戦で勝てる見込みがあると考えたのか、という疑問が当然出てこよう。

真珠湾攻撃の意義、交戦相手からアメリカを除外する案についての計算、巣鴨の生活などについては別著に譲るとあるので、いずれ機会があれば読もうと思う。