支那の宦官

桑原隲蔵支那の宦官』


これは宦官の話。こっちは弁髪どころではなく、周代からあった習慣。中国だけでなく、古代オリエントの王国にもあったし、ローマ、ギリシャイスラム教帝国にもあった。逆にこれがないのは、ヨーロッパと日本だけ。朝鮮や越南にもあった。

宦官は常時少なくとも3000人、多いときには12,000人くらいはいた。宮刑で宦官にされることは、隋代に宮刑が廃止された後にはなくなったので、その後はほぼ自分で去勢したもの。

去勢の死亡率は非常に高く、イスラム教圏の例では自分で去勢した者の半分が死んだという。中国では死亡率はずっと低かったが、明代に去勢したときでも、5分の1くらいは死んだ。それでも自分で去勢したので、すごいこと。中国は家畜を去勢する習慣があったので、技術はそれなりにあったはず。高価な馬が去勢で簡単に死んでしまうようでは困ると思うが。

宦官の猟色(変なことだが、実際にあった)、嫉妬、金に対する異常な執着は明らかに去勢の結果として出たもの。こんなことになっても、宦官になりたい者がいくらでも出たのは、それだけこれがおいしかったということ。官僚社会の究極の到達点。