純文学とは何か

小谷野敦『純文学とは何か』中公新書ラクレ、2017


あっちゃんの、「純◯◯と通俗◯◯の境界」論。基本的には、「純文学とは売れないハイブロウなもの」ということなのだが、これを小説だけでなく、詩、映画、ドラマ、落語、歌舞伎などの周辺分野にも拡大して、「芸術的なもの」と「通俗的なもの」を考えていきましょうという企画になっている。

この意図は、やたら博識なあっちゃんでなければできないもので、いつものとおり、本文でも、「誰かが「◯◯文学とはこういうものだ」と言っているが、このような反例がある」という指摘が山のようになされており、平伏せざるを得ない。あっちゃんのような人がいなくなったら、日本文学を俯瞰してものごとを言う人は、簡単には出てこないだろう。

あと、私小説のくだりもおもしろかった。私小説は、やたらそれが嫌いな人(たとえばマルクス主義のように、「小説は社会に貢献しなければならない」と思っている人)がいるのだが、プロ作家でも、そうでない人でも書けるし、ゴシップ的な興味でも読めるし、何より、本人の事実を書いているので、切迫感がある。日本は比較的私小説が多い国で、これはこれで日本文学の特徴なのだから、それをたいせつにしていけばいいのに、と思う。