牟田口廉也

広中一成『牟田口廉也 「愚将」はいかにして生み出されたのか』星海社新書、2018


インパール作戦の責任者、牟田口廉也の伝記。これくらい有名な人物なのに、本格的な伝記が出たのはこれがはじめて。著者は、この時期の中国史研究者で著書の多い人なので、内容は確実。

牟田口廉也は、佐賀出身で、皇道派。陸軍中枢とはいえないが、それなりに陽の当たる道を歩いてきた人。しかし、単純に言えば猪武者で、感情に動かされてしまう人。これが高級指揮官になってしまうところが問題。

牟田口廉也の軍人としての事績で、特筆されることは3つ、盧溝橋事件、マレー半島作戦、インパール作戦。盧溝橋事件では、一貫した方針を持たず、感情に振り回されて戦争に事態が発展することを止められなかった。マレー半島作戦では、猪突猛進してシンガポール陥落を勝ち取り「常勝将軍」と呼ばれた。インパール作戦では、部下の反対を押し切って無謀な作戦を実施し、大失敗。最終的にはこの作戦の失敗の責任を取らされて予備役編入

とにかく消極的なことを嫌い、部下には盲目的な忠誠を求める人物で、これは連隊長以下ならしかたがないが、高級指揮官には向いていない。しかしこれを止めることができなかったのは、盧溝橋事件とインパール作戦の2度とも牟田口の上司だった河辺正三や、軍上層部、参謀本部などの責任。むしろ牟田口が勝手にやっているから止められないということにして責任回避を図ってきた人たち。

牟田口の行動を許してきたのはこの人たちであり、上司だったのだから責任逃れはできない。日本陸軍がそういう組織だったということ。これはどうにもならない。