AI vs. 教科書が読めない子どもたち

新井紀子『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』東洋経済新報社、2018


著者は、「東ロボくん」プロジェクトで有名な国立情報学研究所の先生。この本は、もう5万部売れていると先々週くらいの新聞で見た。発売後1週間やそこらでそんなに売れたのだから、今ではもっと売れていることだろう。

前半は、「東ロボくん」プロジェクトの内容紹介。コンピュータにできることは限界があり、「シンギュラリティ」など、見通せる将来には出現する見込みはないとはっきり言っている。どうすればそんなものができるのか不思議に思っていたが、やはり現在の技術では、人間と同じような判断ができるものはつくれない。過去の統計から、関連性の強いものを結びつけるのが精一杯。

しかし問題は後半。現在の低いコンピュータの能力でできることができない人間が多数いる。それも数理計算のようなことではなく、「基本的な文章の意味がわからない」というもの。そういう人の仕事、というか、パターンに落とし込める仕事は、片っ端から機械に代替されてしまいますよ、というのが、著者の主張。

「東ロボくん」は、MARCHくらいの大学入試問題であれば、合格ラインに達する。だからといって、明治や青学を出た人間の能力と、コンピュータを比べてコンピュータの方が高いと言っても、意味があるのかどうか。ただ、パターン化された仕事はあっという間に消えて、人間のすることはその分はなくなるという主張はそのとおりだろう。

著者は、「なくなる仕事の分は新しい仕事を考えだせ」という。コンピュータが新しい仕事を勝手に考えてくれることはないので、それはそうだと思うが、そんなに簡単にできることなのかどうか。結局、営業や接客のような「人間の話し相手」みたいなことは機械にできないことは事実だが、では誰でもそんなことができるのかといえば、それは話が別。実際に、スナックを開業して成功するかというと、そうとは限らないし、うまくいかない営業などどこにでもいるだろう。

著者は、「戦後すぐの時期に、日本人は焼け跡から立ち上がったのだからできるはず」と言っている。それはその時だからできたこと。これからも仕事が本当になくなれば、何か新しいことを考え出す人は出てくるだろうが、そんな人がどれだけいることか。考えれば考えるほど、将来の見通しは暗い。