安田登『能 650年続いた仕掛けとは』新潮新書、2017


能の入門書。能はよくわからないので、読んでみた。

読んでみると、よくわからないのも道理。能は、古典文学、特に源氏や和歌の内容を知っていることが前提。その内容を頭に思い浮かべて、詞章や舞を見聞きし、頭の中で結合して、その世界を想像して楽しむというもの。

源氏も和歌も知らず、詞章が何を言っているのかわからなければ、この想像ができないので、能を楽しむということもできない。昔の教養人にのみ開かれた趣味。

それでも昔は、多くの人が楽しんでいた。まず、能のゆっくりとした動きは江戸時代の半ばにできたもので、それまでは動きはもっと早く、激しかった。これだけでも違うはず。

また、昔の偉い人は源氏は読んでいたし、和歌の嗜みもあった。さらに、昔の人は趣味で謡を習っていた。娯楽も少なく、習い事の代表が謡だったから、結婚式で、高砂をうたう人がけっこういた。言われてみれば、自分が若い頃は、披露宴の芸で高砂をうたう人は、それなりにいた。今はほとんどいないけど。

また、ある人が、道を歩きながら、謡を口ずさんでいると、知らない人が唱和して、うたいながらずっと最後まで通せたという話が出ている。それくらいに人口に膾炙していたということ。これができたら、確かに楽しいだろう。

著者は、実際にワキ方をしている能楽師で、親とは関係なく、自分で師匠について習った人。能を観る人をあまり増やす必要はなく、深めて入ってくる人を探すべきという考え。東京の公演は、満席になることもあると書いているので、好きな人はいるとは思うが、これからも続けられるくらいの数をいじできるのだろうか。