関西人の正体

井上章一『関西人の正体』朝日新聞出版、2016


これはかなり笑えた本。朝日文庫に入ったのはは2016年だが、小学館文庫から2003年に出た。単行本の発行はわからないが、元の連載は1996年くらい。

ほとんど全部が、「関西」のコンプレックスを正直に出したもの。関西弁が汚いとか、議論に向いてないとか、大阪のパワーがどうとか、京都の景観などどうでもいいとか、だいたい「関西」は、明治以降の言葉で、こういう言葉が使われるようになったこと自体が、関西が地方になったことの証拠というような話。

どこを読んでも、いちいちそのとおりとしか言えない話。いちばん笑えたのは、雑誌の編集会議を立ち聞きしたら、京都の文化人の悪口だらけだったというくだり。京都をヨイショしているように見える人でも、本当はバカにしているのだ。東京に比べれば、京都はぜんぜん大したことないのである。井上章一によると、「京都人には裏表がある」という説は、こういう編集者が作ったものだろうという。

現実には、関西はどうあがいても関西で、ただの一地方。関西が経済力や文化で偉そうなことを言えたのは戦前か、戦後でも60年代くらいまでのことで、今は東京と対等だなどということはありえない。だから、関西が色物扱いされても文句はいえず、関西のプライドは痛々しい。

しかし、この元原稿を書いていたときは、井上章一は、自分のことを京都人だと言っていた。朝日文庫版が出た時点では、『京都ぎらい』を書いていたので、「もう京都人ではない」とはっきり言っている。著者のねじれた心情は、関西、京都にいた者しかわからない。ほかの地方で、こんなにねじれた自意識を持っていたりすることはないだろう。笑える本だが、悲しくなる。