リベラルという病

山口真由『リベラルとという病』新潮新書、2017


著者は、元財務官僚、現在弁護士という方。電子版で買ったので、著者紹介のページがない。しかし、ハーバードのロースクールに行き、そこでアメリカの最高裁の保守対リベラルの対立について書いているという本なので、政治思想の専門家という人でなくても、内容はそんなに外れていないはず。

著者のいうリベラルは、人種、性別、その他の「格差を認めない」ことがその核心だというもの。人間の理性は絶対、差異はそれ以上のものであってはならず、社会的差別(それがなんなのかということも問題だが)になることは絶対に認めないという考え。

これなら誰でも受け入れ可能なのかといえば、そんなことにはならず、人工授精による親子関係とか、同性婚とか、もちろん人種間平等なんかも含めて、あらゆることが問題になる。しかも、それを決めるのは裁判所。つまり、大統領が一度判事を選べば、後は終身制で、選挙の統制は及ばないところ。

司法積極主義だから、何でも裁判所が決めてくる。これで負け続けの保守からすれば、リベラルへの不満が憎悪に近いことになるのもしかたがない。今のトランプ政権はその結果。

ひるがえって日本は、そういう価値観対立の核があいまいで、保守、リベラルといっても、違いがあいまい。自民党は厳密な保守ではないし、民進党も厳密なリベラルではない。一貫性がなく、それで別に構わないということになっている。日本社会は正論が何なのかをあまり気にしない社会。それではアメリカと話が合わなくてもしかたがない。

イデオロギーが明確でない社会では、たいていのことは人間関係のようなことで決まるか、さもなければ「敵は誰か」ということで決まる。自民、民進、希望といってもその程度の違いしか出ないので、違いもあいまい。アメリカを見ていると、日本がいい加減なのも、悪いことばかりではないように思えるが。