ロマネスク

太宰治『ロマネスク』ちくま文庫、1988


ぼちぼちと太宰治を読むようになったが、おもしろい。みんな読んでいるからというつまらない理由で敬遠していたが、そんな理由で読んでいなかったのはもったいなかった。

この話は、これ自体が短編なのだが、「仙術太郎」「喧嘩次郎兵衛」「嘘の三郎」の3つの小編をあわせてできている。「嘘の三郎」に、前2作の登場人物が出てくるので、そういう意味ではつながっている。

仙術太郎は、女にモテようとして顔を変える術を使ったら、中世の美男子(下膨れ)になっちゃったというもの。喧嘩治郎兵衛は、喧嘩の修行をしていたら、これがうまくいき、結婚もできたのだが、奥さんを殴って死なせてしまうというもの。嘘の三郎は、これが全体の締めのような位置で、父親から「支那の宗教」を教わっていたのだが、この父親も子供も、していることも、すべてが嘘の塊でしたというもの。

この嘘の三郎の結末で、三郎が太郎、次郎と語って、「私は芸術家だ」というところが嘘の極みということになっている。ここが非常に効いているし、苦い笑いがこみ上げてくる。三郎は、自分の人生が嘘だらけだと気づいて、それをやめるために痴呆の人生を送るのだが、結末がこれ。

ロマネスクって、この話のどこがロマネスクなのかと思ったら、この言葉に空想的、小説的(roman)という意味があるのだ。勉強にもなってありがたい。