安来市立歴史資料館

安来市立歴史資料館」、2017.9.1


ちょっと島根県に足を伸ばすことがあり、この資料館に行ってみた。ここは、昔の月山富田城跡、富田城は山城なので、その麓にある。隣接して道の駅広瀬富田城という施設があるが、道の駅にしては売店も小さく、あまり商売気がないところ。いまは安来市になっているが、市町村合併の前は広瀬町という町だったところ。

富田城は、尼子氏の居城だったから、中世後期から近世まではここが出雲支配の拠点だったところ。尼子氏が毛利氏の攻撃で追われてからは毛利氏の城になり、その後堀尾吉晴に与えられたが、堀尾氏は交通の便その他の理由で、松江城を築いて移転、一国一城令で富田城は放棄された。堀尾氏が断絶した後、京極氏支配になり、京極氏断絶の後、松平氏結城秀康の三男)支配になった。松平氏は、支藩を母里と、この広瀬に設定したので、富田城跡は出雲広瀬藩として幕末まで続いたという場所。

昔、ここはそれほど農業に依存しておらず、製鉄業が重要だった。尼子氏がこの場所を居城にしたのも、そのことがあり、李朝系の瓦があるから、交易も盛んにしていた。

夏でなかったら、富田城に登るのもありだが、それはまた今度ということにしておいた。土曜日でも、ここに来る人はなく、受付のおじさんは暇そう。

富田城址だから、この施設は尼子氏を一番強調しているのだが、道の駅や外にあるパンフレットには、山中鹿介のことばかり載っている。尼子氏が滅びた後、江戸時代には山中鹿介の忠義が称えられ、「尼子十勇士」という講談のネタになっていた。パンフレットに、マンガでかっこよく描かれた山中鹿介ほかの絵があった。あとは、「山中鹿介大河ドラマを」という町のポスターが貼られていたけど、それは無理でしょ。こうやって町の英雄も様変わりしていく。