思春期ポストモダン

斎藤環『思春期ポストモダン 成熟はいかにして可能か』幻冬舎新書、2007


ちょっと前の本だが、今読んでも十分おもしろいし、有効性のある本。

著者は、「社会の成熟度と個人の成熟度は反比例する」と言っていて、社会が成熟すると、個人はなかなか成熟できなくなるという。昔のように、子供も労働力だった時代を考えれば当然だが、共同体もなくなって、価値観も定まらない社会では、成熟などしなくてよく、いつまでも子供でいてもかまわない。著者は、日本では成人年齢は35歳だという。理由は、厚労省の「ひきこもり」の定義が、34歳までだから。

病気と正常状態の境界もあいまいになり、精神的な病気の原因を特定することもむずかしくなった。病気は、何か特定の主体に原因があるというよりは、関係性の中に原因があるとしかいえないようなものになった。ネットワーク社会はその後押しをしていますよという議論。

だから、病気の治療というものも、環境適応をどう工夫するかみたいなことになってくる。ちょっとずつ患者や周囲が自分や環境を調整して、なんとかする方向にもっていく。関与、観察、治療が一体となって変化していくようなかかわりが望ましいといっている。

精神病の軽症化とか、ひきこもり、キレやすさ、PTSD、拒食症、不登校など、いろんな問題に対する説明として、とりあえずちゃんと成立している。アメリカやヨーロッパにはひきこもりはないが、その代わりに若年層のホームレスがいっぱいいますよという話には納得。