ナボコフのロシア文学講義 下
小笠原豊樹『ナボコフのロシア文学講義』下、河出書房新社、2016
ナボコフの下巻のほう。まあ、上巻もすごかったが、下巻はそれ以上にスーパーすごい。
上巻の方では、ドストエフスキーがめちゃめちゃ蹴られていた。こっちではゴーリキーだが、ゴーリキーはどうでもよし。それよりも、蹴られているのは、「俗物」と「翻訳」。この本が英語で出版されており、読者は基本的に英語を読む人だということを考えると、この二つの章は、読者のほとんど全部を袈裟懸けに切り倒している。つまり、「おまえらごときにロシア文学を読む価値なし」ということ。
ナボコフは、「アンナ・カレーニナ」を、「アンナ・カレーニン」と表記すべきだと断言する。まあ、言われてみればそれはそうだが、そこまで言うのかと思う。ナボコフに言わせれば、それがわからないような奴は、読む価値なしだし、翻訳者がそういうことをわかっていないのであれば、訳す価値もないということ。
とにかく「俗物」の章は、「この本を読んでいるおまえたち自身が俗物だろう」というもの。それはそのとおりなので、反論できない。また、「翻訳」の章は、そもそも翻訳で読むこと自体に問題があるし、それがわかっていないような奴が翻訳だけ読んでも意味がないということ。こんなことを言われたら、だいたいの文学好き(詩は、翻訳できないのでもう別世界)は死亡。ナボコフは、そんなのはさっさと死ねとおもっているだろう。
20世紀にここまで言えたのはそんなにいないはず。ロシア文学者はおそろしい。