反米という病 なんとなくリベラル

小谷野敦『反米という病 なんとなくリベラル』飛鳥新社、2016


帯は、「自民党支持の大衆に敗れた知識人”最後の砦” 反安保、反資本主義、反近代・・・言論を覆う感情論は「いつか来た道」」というもの。思い切り吹いたわ。

結局いまの「リベラル」というのは、反米と天皇制支持の「野合」でしかなく、反米感情はもはやカルト化していて、なんでも都合の悪いことはアメリカのせいにしているというご意見。そのとおりだわ。

しかも質が悪いのは、この「なんリベ=なんとなくリベラル」は、いわゆる左翼だけではなく、けっこう右翼とか保守とか言われる側にも及んでいるということ。江藤淳とか、西部邁とかがやり玉にあげられているが、確かに彼らはあんまり保守といえるかどうか疑わしく、共通点は反米だということ。

結局「平和憲法護持」など、今となっては、「それがアメリカの言うことを聞かなくてもすむ便利な道具だから」というレベルのおはなしになっている。そのくらい日本の平和主義など、理屈が通っておらず、どうでもよい種類のもの。戦争放棄だの軍隊不保持といいながら、現実に自衛隊があり日米安保条約があるという矛盾について、平和主義がまともな言い訳をしたためしなど一度もない。

結局日本のリベラルなど、反米以外にまともに言うことはなく、後は保守と変わらない。その保守にも、反米はけっこういて、始末におえない。

中島岳志など、「リベラル保守」を名乗る単なる俗物と斬って捨てているところとか、あいかわらず気持ちいい。ほんとうに反米なだけで何か言ったような気になる人はなんとかならないのか。