民主主義の源流

橋場弦『民主主義の源流 古代アテネの実験』講談社学術文庫、2016


『丘のうえの民主政』を改題文庫化した本。とにかく日本語で読める一般書で、ギリシャ時代の民主制をちゃんと書いた本がこれしかないので、読むしかない。

アテネの民主制といえば、ペリクレス演説、民会、500人評議会、民衆裁判、陶片追放くらいしか頭になかったが、大事なことは、ペロポネソス戦争で負け、三十人僭主政になった後のアテネ民主制の歴史が長く、民主制の制度も改良されていたということ。

ペロポネソス戦争で負けた後の民主制が注目されていないのは、もはやギリシャ世界での覇権を失ったアテネに多くの人が興味を持たなくなったというだけ。アテネ人は、戦争に負けたことと民主制の間に因果関係を認めていなかったのか、あるいは民主制それ自体に価値を認めていたのか、いずれにせよ政策の失敗で制度を決めていなかった。

また、三十人僭主政後の再建された民主制では、成文法、基本法の優位が確立されており、民会の権限は法の範囲内に限定された。アテネには、少なくとも法治主義があったということ。プラトンの本だけで、アテネ民主制を衆愚政治扱いしてはいけないという話。

民衆裁判所の構成員は、煩瑣な抽選手続きで選ばれていて、アテネ人が職業裁判官が正義を代行するという考え方を認めなかったことがわかる。抽選を厳格にすれば買収は防げるが、民衆裁判のそれ以外の問題、例えば市民は感情や法以外のものに流されるということをどう考えていたかはわからない。

結局アテネ民主制が終わったのは、マケドニア支配下アレクサンドロス大王が死に、その後マケドニア支配に対するギリシャ諸国の反乱が鎮圧された後、前322年のこと。民主制が潰れた直接の原因は戦争の敗北とその結果としての外部からの干渉による。

疑問点が全部解けたわけではないが、薄い知識で誤解していたことを正すためには有益な本。もうちょっと早く読んでおくべきだった。