憲法の涙

井上達夫憲法の涙 リベラルのことは嫌いでもリベラリズムは嫌いにならないでください2』毎日新聞出版、2016


著者の前著『リベラルのことは嫌いでもリベラリズムは嫌いにならないでください』の続編。前著は、リベラリズムとは何かという問題を総論として扱い、かつ著者が法哲学者として歩んできた道を述べていたのだが、こちらの方は憲法9条問題を正面から扱うことを通じて、「立憲主義リベラリズムとは何か」という問題に向き合うという内容。

著者の立場は明快で、「現憲法では自衛隊憲法違反。しかし、自衛隊なしで日本の安全は守れないので、憲法9条は削除、憲法には安全保障の具体的な政策を入れるべきではなく、戦力を認めた上でそれを統制する規範だけを書くべきだという見解。

これは著者がもともと主張していた持論だが、憲法学者で同じことを言う人はほぼいない。しかし、本当におもしろいのは、著者がこの主張を基礎にして、他の論者、憲法9条改正に反対する立場と安全保障法制に賛成する安倍政権を両方とも切って捨てているところ。

著者の議論では、憲法改正反対論者には2種類あり、「専守防衛自衛隊は合憲だが、集団的自衛権違憲」という「修正主義派」と、「自衛隊は現状で違憲集団的自衛権違憲」という「原理主義派」があるが、両方とも欺瞞的だとする。

「修正主義派」は、現憲法自衛隊の存在が認められると解釈している時点で、すでに「解釈改憲」をやってしまっているので、安倍政権が新しい解釈改憲をしようとしていることを批判する資格がない。「立憲主義」という言葉をご都合主義で利用しているだけ。

原理主義派」は、理屈では一貫しているように見えるが、実際には現在の自衛隊日米安保条約を廃止しようとする努力は何もしておらず、事実上自衛隊と安保条約を消極的に容認して、憲法9条を現状を変えさせないようにするための政治的手段として利用している点で、不誠実。自衛隊を廃止しようとしないのに、憲法9条を改正して自衛隊を認めようとすることもしていない。結局、憲法と現状が乖離していることを放置していて、憲法を尊重していない。

著者は、憲法9条改正反対派は、改正賛成派よりもさらに罪が深いとする。それは憲法を尊重するようなふりをしながら、実際には憲法が踏みにじられている現状を認めているので、自分も他人もあざむいているから。

逆に安倍政権に対しては、アメリカへの従属をすすめるだけ、アメリカを一方的に信じて寄りかかっているだけで、自主的な安全保障政策を取ろうとしていないとする。

著者の見解では、憲法は規範であり、政治的道具ではないので、自分の政治的主張を守るために憲法を都合よく利用することは許されないとする。「立憲主義」を主張するのなら、集団的自衛権を批判するためだけにそれを主張することは許されない。現状が憲法違反であることを指摘しないとフェアではない。

著者の主張に賛成できないこともあるが、一貫した議論であることは確か。特に「解釈改憲」を批判する側が、この主張を乗り越えることは難しいだろう。