千葉家住宅 熊野神社
「千葉家住宅」「熊野神社」
千葉家住宅は、江戸時代に藩の「天下送り役」「宿送り役」(宿駅)を務めた千葉家の邸宅。今は海田町に寄付されて公費で保存されている。もとは安永3年(1774)の建築。240年以上前の建築だが、非常によく保存されている。
藩の役人を泊めていた公用の建物と、持ち主が使っていた私用の建物がつながっていて、見学できるのは公用の建物のほう。こちらは浴室や厠まで昔通り。庭は非常にきれいで、手入れが行き届いている。町に寄付されたのは10年前だということなので、それまで持ち主がきれいにしてきたのだ。ありがたし。欄間の彫刻、月星の家紋、猪目という飾り金具など、細かいところにもみどころがある。古文書や御用箱などもそのまま残っている。
熊野神社は、ちゃんと現役の神社。万寿年間(11世紀)に熊野大社を勧請したと書いてあるが、そんなに古いのか?現在の拝殿は文政年間にできたもの。これも200年以上はたっている。海田市だけでなく、瀬野、中野、畑賀、船越の鎮守で、一貫田も社領だったと資料に書かれているので、昔は大した勢い。この神社の近辺には、寺や神社がごろごろあって、昔は栄えていたことがしのばれる。
自分は全然知らなかったが、今、商業地となっているところは昔は田畑で、西国街道は、海田市駅の北側を通っていた。だから、昔の海田市の町は、北側にあった。現在の海田町役場(非常に小さい)も、駅の北側。西国街道は、ここから船越の方に伸びていて、そこから折れて、広島城下に通じていた。