失われた兵士たち

野呂邦暢『失われた兵士たち 戦争文学試論』、芙蓉書房、1977


著者は、1912年生まれ、1980年没。小説家。この本は、戦記を中心にした、太平洋戦争についての記録についてのエッセイ。陸上自衛隊の幹部向け雑誌『修親』に1975年から77年まで連載されていた記事をまとめたもの。

著者の生年から、太平洋戦争当時は子供であり、戦争体験者ではない。しかもこの連載当時は、戦争体験者が多く生きていた頃で、著者はこの本の内容について、「事実でない」「戦争を知らないくせに、勝手なことを言うな」等々の批判を相当受けていた。それらの批判に対して、著者ができるだけ答えようとしていたことも読めばわかる。

著者は、この連載のためというわけではなく、とにかく戦記を読むのが好きで、この本で紹介されているのは、高級軍人から一般兵まで、さまざまな人の書いた記録。階級の高い軍人ではない、一般兵の手記にも多く言及がなされている。

それぞれの戦場やテーマにそって、まとめられている。しかし、これは批判が出ても仕方がないと思わされるのは、無数にある個人の記録をいくら読んでも、戦場や戦闘の全貌を書くことはできず、確実な記録をていねいに読まなければ、そういうことはできないからである。

それでも、著者は、無数にある一般兵の手記を読んでいくこと自体に意味を見出している。一面的でも、嘘があっても、それは一人一人の生の記憶であり、整理された歴史とは違うもの。もちろん、戦史叢書や包括的な歴史書も読んではいるのだが、個人の記録はそれとは異なる価値がある。

この作業は、私家版を含むそうした記録がどんどん散逸している今ではできないこと。本当は著者のような個人の愛好家だけがする仕事ではなく、公的機関が人とお金を使って片っ端から集めなければならなかったものだが、もう無理。それができているのは、アメリカの国立公文書館で、彼らの所蔵資料が整理されてデジタル化されないとどうにもならない。

なので、中途半端な本でも、個人の記録を整理することには意味がある。また著者も個人として、出来る限りの分量は読んでいる。最近、この本は文春学藝ライブラリーで復刊されたが、それもありがたい。