関羽

渡邉義浩『関羽 神になった「三国志」の英雄』、筑摩書房、2011


関羽を「三国志」「演義」から始めて、現在の関帝信仰まで書いた「関羽の歴史」本。「三国志」と「演義」での関羽の描写の違いは、自分の中で、わかっているようでわかっていなかったことが多く、特に「演義」の版ごとの違いはまったくわかっていなかったので、読んでよかった。一言でいうと、関羽を「義絶」の人として描くために、都合の悪いエピソードは削り、義を強調するエピソードを足して、関羽像が形成されたということ。

関羽死後の神格化の歴史は、ろくにわかっていなかったので、こちらも読んでよかった。というか、この本を買ったのは、この神格化の経緯を知るため。政治的に皇帝がまつりあげたこともあるが、現在まで関羽が神格化されているのは、山西商人が地元に縁のある関羽を自分たちの神としてまつったこと。

これが発展して、道教儒教からともに神格化されていく。超人的な力、左伝に親しんでいたことは、関羽をまつりやすくした。さらに戦争のたびに武神扱いされたことで、異民族や叛徒も関羽をまつり、その後は忠孝、節義の手本としてあがめられた。関帝神籤が普及したり、華人社会が結束の拠点として関帝廟をまつったことで、華人ネットワークの結節点として機能するようになった。関羽がそのような役割を担ったのは、「義絶」の人であり、「義」が「信」を生み出す象徴となっているため。