紙の砦

川村湊『紙の砦 自衛隊文学論』、インパクト出版会、2015


帯によると、「世界初の自衛隊文学論!」となっている。そう書いてあるということは、いままでに自衛隊を扱った小説の評論本はなかったということなのだろうが、いろんな意味で中途半端な本。

まず著者の自衛隊に対する政治的な立場が前面に出過ぎている。とりあげる作品を通じて自衛隊を語る本なのかというと、そうなっておらず、「著者の自衛隊に対する立場を文学評論の形をとって語る本」になってしまっている。これはつまらない。

自衛隊を扱った小説をかなり網羅的に取り上げているのだから、小説の書かれた時期や著者の生年を区切って、自衛隊に対する小説の立場の変化を示すとか(少しはやっているのだが、印象論だけで、ちゃんとした整理はしていない)、他にやり方があるだろうと思う。

何より、著者は半可通の知識を勝手に語りすぎ。自衛隊そのものを論評したいのであれば、著者が巻末の文献リストにあげた本だけでは足りないでしょう。明らかに間違った表記や記述も散見され、著者が専門家に原稿を見てもらっていないことがわかる。それでいて、小説やノンフィクションの自衛隊に関する評価が現実的であるとかないとか、言うこと自体がムリ。特に小説はともかく、ノンフィクションの評論は著者の知識レベルではやらないほうがよかった。

シミュレーション戦記やライトノベルも対象とするのなら、マンガも対象として加えるべき。映画は、巻末に少しだけ載っているが、こちらは網羅的に取り上げてられていない。「皇帝のいない八月」は、ストーリーはほぼ同じでも小説での描かれ方と映画での描かれ方は違っているから、別途に論じるべき。「戦国自衛隊」(特に映画版)の取り上げ方も平板。映画版は角川映画なんだから、小説とは別作品でしょ。実写映画だけで、アニメーションは取り上げていないのもよくない。

結局、作品論をまじめにできておらず、自衛隊についての自分の見解をテキトーに披瀝しているだけである。せっかく作品をたくさん収集しているのに、もったいない。

「永遠の0」など、明らかに「自衛隊文学ではないもの」まで取り上げているのもおかしい。戦前の軍隊との関係で取り上げるのなら、戦後書かれた戦記文学全般に目配りしているべきだが、それもできていない。

「男たちのYAMATO」を自衛隊が協力しているからといって、「自衛隊映画」にするのもおかしい。自衛隊が、映画や小説を広報に利用するのはあたりまえ。そんなことを批判する方がおかしい。利用されたくないのであれば、自衛隊の協力など期待するべきでない。