縮みゆく男

リチャード・マシスン(本間勇訳)『縮みゆく男』、扶桑社、2013


これは以前ハヤカワ文庫から、『縮みゆく人間』というタイトルで出ていたもの。しかし新訳である。そして内容は文句なしの傑作。

主人公のスコット・ケアリーが、毎日1/8インチずつ身体が縮んでいく奇病にかかる。奇病の原因は不明。放射性物質のせいかもしれず、殺虫剤のせいかもしれない。とにかく治療法はない。

エピソードの置き方がややこしく、主人公が奇病にかかりはじめた時点からのエピソードと、すでに奇病が進行して家族からも見つけられなくなってしまって自宅の地下室で生活するようになってからのエピソードが交互に同時進行する。最初のうちはちょっと面食らうのだが、1インチ近くになってしまった主人公が見る世界、巨大な蜘蛛の脅威、これも巨大な家具や雑貨、扉が開閉される度に突風や轟音が押し寄せる状況の描写に、すぐに物語に引きこまれてしまう。

一番強い印象を残すのは、主人公が縮み始めたころは愛情にあふれていた人間関係が徐々に崩れていくところ。主人公はひがみっぽく、怒りっぽいのだが、身体が縮んでいくにつれて、妻は主人公をただの「小人」として扱うようになっていき、娘(まだ幼児)は人形のように主人公をつかんで振り回す。この辺はカフカっぽいが、周りの態度の変化がじわじわと進行していくようすが心を刺す。

子供と思って、車で送ってくれるが、情欲のはけ口にしようとする男や、噂の「縮みゆく男」と知って襲ってくる少年たちの描写もかなりきつい。

何より、主人公が、自分が縮んでゆく過程で、自分の夫、父親、男、人間としての自信をしだいに失っていく描写が読んでいてつらい。縮んでいくことで、自分で自分を人間として見られなくなっていくのだ。身体は縮んでゆくのに、性欲が縮まないので、ベビーシッターの女の子ののぞきに夢中になっているところはリアル。

1/8インチずつ縮んでいくことで、自分が「消滅する」恐怖にさいなまれる主人公が「なくなってしまう」という恐怖の先に何をみたのか、それがこの本の終わりになっているのだが、これはいいラスト。

「縮みゆく人間」のタイトルで映画になっているのだが(ジャック・アーノルド監督、1957年)、こちらは未見。映画向けの小説であることは間違いない。脚本も原作者本人が書いている。しかし、日本ではソフトが出ていない。なんで?ほかのマシスン原作の映画は日本語版が出ているのに。