ケータイ小説的。

速水健朗ケータイ小説的。 ”再ヤンキー化”時代の少女たち』、原書房、2008


非常におもしろい本。ヤンキー文化論の先駆者の1つだが、やはり分野を切り開いた本は違うわ。

これまでケータイ小説はまったく読んだことがなかったが、この本の中にあった『恋空』のあらすじを読んで、こんなにすごいものが売れていたのかという事実におどろいた。ヤンキーというのはエライものを読んでいるのだ。

しかもこの『恋空』は、浜崎あゆみの歌がカギになっていて、この歌を知らないと意味がわからないようになっている。浜崎あゆみなんか名前くらしか知らず、顔もあやふやなので、曲を知らないのだが、こっちもエライものを歌っている。

他の関連ネタは、『NANA』、郊外型ショッピングモール、携帯メール、コギャル、『ティーンズロード』、デートDVといったもの。この中でわかるのは郊外型ショッピングモールだけ。これはどこに行っても中はほとんど同じで、買いたいものは特になく、サクッと買い物する以外の用事はないので、こういうところで時間をつぶしている人たちの神経はまったくよくわからなかったが、これを読んである程度わかった。ショッピングモールは、暇つぶしだけでなく、コミュニケーションと遊びのスポットとして、十分に機能していたのだ。そんなものが必要ないのは、人口100万人とか、政令市クラスの大都市だけ。田舎はそこしか行くところがないのである。

ヤンキー文化ネタの本は、この本も、他の斎藤環らの本も非常におもしろいが、それは、自分の隣にありながら、自分がほとんどその内容を知らなかったものが、組み合わされて、大きな文化圏を構成しているという謎解きのおもしろさ。ヤンキー文化のコンテンツそのものには、まるっきりひかれるところがない。

著者は、「ケータイ小説」のことを、「被差別文化」と呼んでいて、昔のディスコ音楽やR&Bと同じ、マイノリティの文化であり、それらが売れているのに無視されていることを嘆いている。都築響一が、相田みつをが無視されていることを嘆く文章も引用されている。確かに、これらのアイテムに、おもしろを発見したのは、速水や都築の功績。批評対象としては十分おもしろい。しかし、自分はヤンキー文化評論は愛好できても、ヤンキー文化そのものは何回見てもつまんないわ。コノテーションないし。深入りすると何かおもしろいものが見つかるのだろうか。いや、ないと思うが…。、