世界が土曜の夜の夢なら

斎藤環『世界が土曜の夜の夢なら ヤンキーと精神分析』、角川書店、2012


著者による『ヤンキー化する日本』があまりに面白かったので、これに手を付けてみたが、期待に違わぬ傑作。これは本当におもしろい。

この本を読んでいて、本に書かれているヤンキーっぽいコンテンツ(ギャル、音楽、相田みつを、ジャニオタ、ヤンキー先生金八先生、マンガ、ファッション等々)について、自分がまったく知らないことに気がついて呆然。自分がこれまでヤンキーっぽいものにまったく無縁に生きてきたことをあらためて気付かされた。

逆に言うと、この本に出てくるコンテンツのほとんどがあまりに新鮮すぎてめまいがする。金八先生は、リアルタイムで放送されていた頃は、ギャグとしか考えていなかったし、現在繰り返し再放送されていても、単なるおもしろネタドラマとしか思っていなかった。しかし、ヤンキーコンテンツの文脈に置いてみると、全然ネタなどではなく、ベタな話であり、そのことがおもしろいのだということだ。ヤンキーには、何かをネタとしてもてあそぶような考え方はなく、すべてがベタで成り立っていて、それをオタクの著者(とこの本を読んでいる自分)が、外側から見ているとおもしろい、という構造。

圧巻は、終章「特攻服と古事記」。ヤンキーコンテンツの本質は「換喩」であり、似ているところを無限にコピーするだけのものだということ、そこにコピーされるべき内容は何もなく、むしろ内容がないものを、気合とアゲアゲのノリだけで盛り上げていくのがヤンキーの特質だということ、そういう文化の特質は、日本文化に古くから内蔵されてきたものだということが、手品のようにネタバレされる。

確かに、日清、日露戦争も、太平洋戦争も、言ってみれば「気合とアゲアゲのノリ」だけでやったようなもので、明確な見通しや敵の出方についての細かい情報や情勢判断は何もない。日本史など、そんな事例だらけだから、このストーリーには納得させられる。

また、ヤンキーについての批評がほとんど行われていないことにも注目。この本と、『ヤンキー化する日本』の他は、五十嵐太郎編著『ヤンキー文化論序説』、難波功士『ヤンキー進化論』、速水健朗ケータイ小説的。 ”再ヤンキー化”時代の少女たち』くらいしか挙げられていない。ヤンキーは他者からの批評には関心がなく、批評を読む側はヤンキーをバカにするか敵意を持っている(橋下市長に対する知識人からの敵意にも、それは十分感じ取れる)から、分野として大きくなりにくいのだろう。しかし、これは確実におもしろい分野。