司法権力の内幕

森炎『司法権力の内幕』、ちくま新書、2013


『絶望の裁判所』には目が行っていたのに、2013年の12月にこういう本も出ていた。同じく、元裁判官(こちらは現在弁護士)による裁判所の内幕本。

この名前を見て、ペンネームかと思っていたら本名のようだ。裁判官時代に経験したことの暴露だけではなく、自分が器質性の精神障害保有者で、頭痛がひどい時には何もできなくなることまで書いてある。そんなことを書いたら、弁護士の仕事にも差し支えるのではないかと心配になるが、この本は著者の多くの著作の一つ(裏表紙の著者紹介だけ見ても、10冊ある)なので、いまさら隠すようなことではないのだろう。

本を読んでみて、これが『絶望の裁判所』とほぼ同じ論旨のことを主張していながら、インパクトにおいては及ばないことの理由がわかった。本の記述の多くは、過去の裁判例に対する著者の批判であり、その批判がすでにさまざまなところでなされてきたものをなぞった内容になっている。著者が直接経験したことの生々しい記述が少なく、その分迫力がない。

また造船疑獄の指揮権発動は、検察の意図を妨害しようとしたものではなく、むしろフォローしていたことがすでに指摘されているのに、そのことを認識していない。全体として、検察という組織についての認識は不十分だし、裁判所が検察に対抗して政治権力を守ろうとしていると主張しているが、それも違うと思う。

そういう欠点はあるが、それでも読まれるべき本であることは確か。『絶望の裁判所』とは異なり、裁判官が検察の起訴をそのまま追認するような、同じ判決しか書かない理由は、人事のコントロールではなく、著者が「裁判所パノプティコン」と呼ぶ、思考の見えない刷り込みが原因だと主張している。最高裁事務総局の支配についても否定しているし、裁判所が上命下服の組織であることも事実ではないと言っている。事務総局を通じた最高裁の直接的な支配ではなく、「見えない権力関係」が裁判所の病理の根本にあると言っているのである。

『絶望の裁判所』や『司法権力』が指摘する、人事による直接的なコントロールとは異なる説だが、どちらが正しいのかは、わからない。さらにこの関係の本を読まないといけない。