北朝鮮からの生還

久木村久『北朝鮮からの生還 ある10歳の少年の引き揚げ記録』、光人社NFL文庫、2013


これは、脱北者本と勘違いして買ってしまったのだが、実際には太平洋戦争敗戦後の日本人の引き揚げについての記録。しかし勘違いではあっても、読んでよかった。

著者は、昭和10年(1935)生まれ。豊橋市に生まれたが、空襲が厳しくなったので、昭和20年に父親が軍医として勤めていた朝鮮の羅南(羅先の少し南)に渡った。これが第一の転機。なぜ敗戦直前のこの時期にわざわざ危ない朝鮮に渡ったのかと思えるが、当時は空襲されていた内地よりも朝鮮の方が安全に見えたのだ。

敗戦とともに父親とははぐれてしまい(後に再会)、母親、兄、著者(9歳)の3人でソ連軍の収容所に入ることになる。著者の一家は、ソウルに行く機会があったのだが、結局その道はとらなかった。これが第二の転機。これもソウルに行っておけば、後の苦境に会わずにすんだはずだが、悲惨な状況にあった人々がたどった道はほんのわずかなことで、曲がってしまったのだ。

その後、母親が死に、兄も死んでしまう。この辺りの描写は悲惨そのもの。発疹チフスの流行や、栄養失調のおかげでバタバタと人が死んでいく。当時著者のいた咸興には7万人の日本人がいて、うち1600人が亡くなったという。

著者は幸運にも、引き揚げ列車に乗ってソウルに行き、そこから日本に戻ることができた。亡くなった母や兄は遺品も持ち帰ることができず、現地の土になったまま。

これを読むと、ソ連に占領された朝鮮北部からの引揚者は一番悲惨な目にあったと書かれている。日本人をあっさり送還した朝鮮南部や中国本土からはなんとか引き揚げが秩序だって行われたが、朝鮮北部にいた日本人は本国から完全に放置されており、ソ連が引き揚げを実施するまでの間、棄民と化していたのだ。170ページにも満たない小著だが、残酷な物語には胸を打たれる。