絶望の裁判所

瀬木比呂志『絶望の裁判所』、講談社現代新書、2014


これは読んでみて、相当驚いた。断片的には、これまで読んでいたことではあったが、裁判官、それも東京地裁、大阪高裁、最高裁調査官など、裁判所の中でのエリートコースを歩いてきた当事者が、実名でここまで暴露しているものを読むと、インパクトが違う。

簡単にいえば、「司法の独立」は日本では全く存在しないということ。司法権は行政権と完全に癒着していて、刑事でも民事でも両者はほぼ一体。また、裁判官は最高裁事務総局のコマになっていて、判決は当然のこととして、一挙手一投足がすべて上司(所属裁判所の長など)の管理下におかれている。裁判官のほとんどは、頭はいいが自分の価値観というものがない「イヴァン・イリイチ」タイプが半分、もう半分は単なる出世主義者の俗物タイプ。それ以外にわずかに人格者と、分類不能の「怪物」がいるというもの。著者による裁判官の描写は、当然著者本人が目撃した実在の人物のものなので、容赦なくリアル。

裁判官がこういう人間で占められる理由は、彼らが人事で首を抑えられて身動きできない人々だから。裁判官は自分たちの狭い世界がすべての人々なので、人事で「遅れをとる」ことが耐えられない懲罰になる。また言うことを聞かない裁判官、「左より」の裁判官は、再任拒否、退職の事実上の強要で潰される。

裁判そのものについても、「統治と支配の根幹はアンタッチャブル」「先例追随、和解押し付けの民事裁判」「社会防衛が目的化、検察官の言いなりの刑事裁判」で終わり。裁判員制度の導入などの司法改革も、要は裁判所内部での権力再編のためとはっきり断罪されている。

非常に凝縮された内容の本で、とにかく圧倒された。権力など持っていない人は裁判に何かを期待するのはムダというもの。司法権力は、この本のことは完全無視だろう。