ノモンハンの夏

半藤一利ノモンハンの夏』、文春文庫、2001


ノモンハン事件の歴史。戦史ではあるが、戦闘については、あまり詳細に語っておらず、むしろ東京の参謀本部陸軍省、海軍、外務省、天皇らの相互関係と、モスクワとベルリンの動向に多くのページを割いて、国際政治、国内政治のゲームの上でノモンハン事件がどういう役割を果たしたのかということを浮かび上がらせようとしている。

著者の細かい調査と筆力のおかげで非常に読ませる本になっていることは確か。戦闘の経緯について省略した分、戦車や砲兵での彼我の格差について書くことで、「わかりやすい歴史」になるように配慮されている。戦史なのに、地図があまりにも少ない(最初にノモンハン事件全域の概略図が一枚あるだけ)のだが、戦闘の展開については他の本があるから、そこに細かい筆を走らす必要はないという判断だろう。

よく書けている本であることは確かなのだが、読んでいて違和感を覚える部分が頻出。この原因は、ひとつはヒトラースターリン、特にヒトラーについての描写が文学的にすぎること。この部分は小説というか、講談っぽい描写になっている。他の部分と文章の質が違っていて、やや興ざめ。

もうひとつの原因は、著者が「悪を糾弾する」というスタンスを歴史記述の中に出しすぎていること。末尾に近い部分では「絶対悪」という言葉を使っている。これは関東軍参謀、特に辻政信と服部卓四郎らと、東京の参謀本部、主に前者のことを言っているのだが、「責任を負う」とか、「愚劣」という評価ならわかるが、「絶対悪」とはどういうことか。著者が、辻や服部が、自らこの戦争を引き起こして、多数の犠牲者を出し、戦争の後も責任を回避しようとする態度に非常に怒っていることはわかる。しかし、その怒りは、歴史を全部書いた後で出してもらいたい。あまりにも読者の感情を直接揺さぶろうとして、露骨な描写をやりすぎ。著者は、つまらないところで司馬遼太郎のマネ(あっちは、歴史「小説」)をしてしまっている。

著者の意図は、十分に達成されているし、そのおかげでおもしろい本になっているのだが、歴史家としては、この姿勢はどうかと思う。『日本のいちばん長い日』では、もっと抑制的な書き方になっていて、そのために読後感のよい本になっていたから、この本はそういう点では残念。