2020年 新聞は生き残れるか

長谷川幸洋『2020年 新聞は生き残れるか』講談社、2013


中日新聞東京新聞の一匹狼として発進を続けている著者のジャーナリズム論。あいかわらず、いろいろとおもしろい。

最初に出てくるのが、「経済部記者は経済学を知らない」というエピソード。これははっきりいって驚いた。政治部記者が政治学のことを知らなかったとしても、まあまあ務まるかもしれないが、経済部記者が経済学を知らなかったら、業界記事は書けても、景気や財政、金融の記事は書けないだろう。しかしそれでも記事が書けてしまうのは、記者クラブ財務省や日銀のブリーフィング資料をそのまま編集して記事にしてしまっているから。

もちろん、経済部以外も同じで、どの部署も記者クラブでの役所の発表を編集して記事にする。従って、役所が発表しないことは書きようがないし、役所の政策を根本的に批判する記事も書けない。

著者が、「メディアが政策をまともに論じられない理由」としてあげるのは、「客観性」「公正性」に縛られすぎ、両論併記と、役所の発表をそのまま流すことが客観的、公正と思っているので、報道もそのようになってしまう。

しかし、そんな報道に果たして需要はあるのか?というのが著者が投げかける問題。役所がネット上にあげた資料をもとにして、復興予算の流用を暴いた週刊誌記者のエピソードや、マスメディアが生データの二次加工能力をほとんど持っていないエピソードが説得的。マスメディアの特権的な地位にあぐらをかいて、「自分でニュースを探してくる」ことをやってこなかった結果である。

その背景にあるのは、マスメディア内部の、「特ダネ競争」。特ダネは役所や政治家のリーク内容を他社より早く報道することなので、必然的に取材相手との人間関係を深くすることに注力せざるを得ない。しかし、役所や政治家は、マスメディアを利用して自分の政治的資源にしようとしているのだから、マスメディアは役所や政治家による世論コントロールの手段にされているということ。

著者の主張では、ジャーナリズムはこれまで業界内に目を向けすぎていて、ユーザーの方を向いていない。記者の養成システムの変更、記者の専門性の強化、特に生データを加工してそこから情報を取り出す能力の必要性など、さまざまな主張をしているが、結論は「読者が読みたいと思うような記事が書けなければ、ジャーナリストの職業人としての価値はなくなる」ということ。

引用されているエピソードが著者の経験だけでなく、いろいろな人からまめに話を集めていて、非常におもしろい。やはり現在、一番信用できるジャーナリストの一人だけのことはある。