日本のいちばん長い日<決定版>

半藤一利『日本のいちばん長い日<決定版>』文春ウェブ文庫、2001


これもKindleで読んだが、内容は1995年刊行の単行本=2006年の文庫本と同じ版。著者を半藤一利名義に直して、内容を事実に沿うように加筆修正したもの。

映画化されたものは見ていて、あれも傑作だと思うが、この本は映画よりもドラマティック。半藤一利は、事実に余計な修飾をつけずに、かつ単なる長い年表のようなものにならずに、敗戦までの最後の一日をちゃんとした物語に仕立てることに成功している。

焦点は御前会議にいたる会議のメンバーたち、特にポツダム宣言受諾をなんとしてもやり遂げようとする、鈴木貫太郎東郷茂徳、米内光政と、聖戦完遂を譲らない、阿南惟幾梅津美治郎豊田副武の対決が一つのヤマ。今になってみると、マリアナ諸島陥落の時にほぼ敗戦は決定していたのだから、なんでもっと早く降伏できなかったのかと考えてしまいがちだが、当時の軍指導部にはそんなことは夢にも考えていない人々が大勢いて、ここまで追い詰められなければ、さらに天皇の決断がなければ、敗戦を受け入れることはできなかったという事実の重みが淡々とした筆致で明かされている。

もうひとつの焦点は、天皇の聖断が降った後も、クーデターで政府を倒し、本土決戦をやり抜こうとする近衛師団の将校らを中心とする一団と、8月15日の玉音放送をやり遂げようとする、陸軍上層部、宮中、NHKの関係者たちのドラマ。今日から見れば、日本全土を戦火で焼きつくしてでも決戦に持ち込むという戦争完遂派の将校の態度は狂っていることになるのだが、彼らの考えていたことがある意味、非常に腑に落ちた。

彼らにとっての国体とは、単に天皇制が維持されるだけの日本ではないので、天皇を中心とする聖戦共同体である。単に天皇がいて、日本という名前の集団があるだけでは、国体の本義なき日本であり、魂の抜け殻のようなものなのだ。実際、戦争に負けた後の日本を彼らが見たとすれば、自分たちの思った通りの日本が出現し、彼らの予想は正しかったことを知っただろう。三島由紀夫ともつながっている考え方だ。

ともかく、これだけの材料を、このボリュームに圧縮して、緊密なドラマに仕立てた半藤一利はエライ。変なことも言っていたりするが、この仕事だけでも彼の存在意義は長く残るだろう。