地獄の日本兵

飯田進『地獄の日本兵 ニューギニア戦線の真相』新潮新書、2008


太平洋戦争でのニューギニア戦線の様子を、文献と著者の体験で綴った本。著者は、海軍民政府調査局員としてニューギニアに赴任し、のちに陸軍部隊に情報要員として配属されたという経歴の人。現地住民の殺害および巡警(現地採用の補助警察官)殺害事件。重労働二十年の判決を受け、ジャワおよび巣鴨刑務所で服役、昭和31年に仮釈放で出所、という経歴の人。

全編悲惨を絵に描いたような記述の連続。ニューギニア戦線は一番過酷な戦場のひとつだが、この短い本にまとめられている内容だけでも酸鼻を極めるもの。とにかく、戦闘はろくに起こっておらず、ジャングルの中をひたすら移動するだけである。それも初期の攻勢が失敗して、連合軍が反攻に出てきてからは、補給が途絶している状況でひたすら後退につぐ後退。それも、ニューギニア島の奥地をひたすら西に向かって逃げて行くのみ。平坦な海岸線沿いの道は、連合軍が海空から哨戒しているので通れない。道もろくにないジャングルを進むしかない。

当初の時点でだいたい20日分の携行糧食しかもっていない。実際にはこれ以外に小銃、弾薬200発、食器など、あらゆるものを担いでいかなければならないので、30キロ以上の重さの荷物を担いでいる。これで崖や川を超えて進む。まだ食料のある時期はましで、食料がつきてしまうとまったく悲惨なことになる。熱帯雨林の中では食べられるものなどほとんどなく、特に大部隊が行軍している途中で食料を現地調達することはほぼ不可能。最初は友好的だった原住民も、食料を略奪されると敵側に回るようになり、結果として著者が戦犯に問われたような虐殺事件が続出する。

バタバタ死んでいく日本兵の描写はあまりにも悲惨なのでいちいち書けないが、著者の主張は、やすくに参拝とか、戦死者への感謝の念を表明するとか、そういうことをする前に、なぜこのような悲惨な結果を招く作戦が立案されたのか、誰がこの結果に責任を負うべきなのかを明らかにせよということ。

著者は警察予備隊創設にも強い違和感を持っているが、それは戦争指導に従事して本来その責任を負うべき中央の参謀達がその責任を問われずに警察予備隊創設にも参加していたからである。

戦時の作戦指導の責任が日本国内ではほとんど追及されることなく、連合軍の軍事裁判で責任追及は終わってしまったことになっているが、実はそのような処理では納得していない人も少なからずいるちうこと。この本には奥崎謙三の『ヤマザキ天皇を撃て』と天皇へのパチンコ玉狙撃事件についても書いてあるが、奥崎謙三と同じような考えを持っていた人は他にもいたのだということである。

巻末に参考文献リストがあげられているので、これは読まなければ。