溶けていく暴力団

溝口敦『溶けていく暴力団講談社+α新書、2013


溝口敦の新しい暴力団本。このテーマでずっと書き続けてきた著者の本なので、記述は具体的かつ説得的。

著者は「本書は暴力団への挽歌である」と書いている。実際にこの本を読むと、暴力団という仕事が商売として成り立たなくなってきていることがわかる。警察、司法の一体となった規制強化(ほとんど暴力団に人権なしと言っているのと同じ)によって、「暴力」「抗争」は、暴力団やその構成員にとって割りが合わないものとなった。また、暴力団が生業としているビジネス(賭博、薬物売買、テキヤ等々)は、それ自体が技術の進歩によって暴力団の入り込む余地がなくなってきていたり、そもそも商売として成り立たないものになってしまっている。

さらに「喧嘩はしない」のであれば、組織を拡大する必要もなく、むしろ、巨大な組織を運営することのコスト負担が過大になってくる。本書で取り上げている山口組と、北九州の工藤會の対比は説得的で、著者は組織全体に目が届くようにできるのは150人程度くらいが適正な規模で、抗争のために人数を集めることが時代錯誤になってしまった現状では、全国レベルの大規模な組織が必要なのかどうかは疑問だとしている。

暴力団にいても食えないことはわかっているので、組織を抜ける者が続出し、新しい構成員も入らない。犯罪に手を染める者は、親分子分関係の厳しい暴力団には入らず、その場限り、あるいはより緩やかな結びつきを利用して、それも暴力を使うのではなく、詐欺に近い方法で仕事を立てている。このやり方では、「目立たないようにする」ことが有利で、暴力団のように「目立つこと自体がメリット」という考え方は成り立たない。

震災被災地でのヤミ金や、復興の産廃処理、原発事故処理の作業員などの労働に暴力団が入っていることは、暴力団の抜け目なさを感じるが、暴力団の組織でなければできない仕事というわけではない。

山口組の二次団体の組長であっても、組織を抜けて生活保護を受けるレベルになっているというエピソードにはおどろいた。暴力団が幅を利かせているのは、もはやVシネマの世界だけである。