パオロ・マッツァリーノの日本史漫談

パオロ・マッツァリーノパオロ・マッツァリーノの日本史漫談』二見書房、2011


これは結構当たりの本。基本、パオロ・マッツァリーノにあんまりハズレはないが、この本はよく書けている。

日本史漫談と言っているが、古代とか中世のような昔の話をしているのではなく、近過去、つまり明治からせいぜい江戸時代あたりまでしか遡らない。これは著者の基本的な情報源が昔の新聞だから。巻末の参照文献リストを見ると、さすがに社会学の畑の人で、文献調査はまめにやっている。

庶民史、文化史の本なので、ネタの選択がおもしろさを決めるのだが、そこのところも抜かりはない。全裸、ネクタイと開襟シャツ、「笑顔が絶えない」という形容の用例、子供の名前、「先生」の用例、東京にいた牛の用途、牛乳の風味、土下座、新聞広告、亡国論というセレクション。どこを読んでもおもしろく、また知らなかったことばかりで非常に勉強になった。

特に自分にとって役に立ったのは、牛乳の風味と、東京の牛についての章。

牛乳の風味はかなりの部分が殺菌法に左右されていて、日本で普通に行われている高温瞬間殺菌は牛乳の風味をかなり損なっているという。それでも高温瞬間殺菌が普及しているのはコスト安が主な理由なのだが、著者は日本人の多くが臭いに鈍感なのではないかと推測している。自分も低温殺菌牛乳がおいしいことは知っていたのだが、風味の違いが殺菌法から来ているとは知らず、単に生乳の品質差だと思っていた。高温瞬間殺菌と低温殺菌では、2倍から2倍半の価格差があるので、牛乳を大量に飲む人、というより牛乳を大量消費しているのは学校給食なのだが、ここが採用するのは無理だろう。しかし、個人で飲むだけで、そんなにたくさん飲まないという人は、低温殺菌牛乳を買ってみる価値は十分にある。ただし、日持ちはしない。

東京の牛についての記述にはかなり驚いた。牛は遅いので農耕用以外、輸送用途には向いていないと思っていたのだが、江戸時代初期(18世紀ごろ)でも、明治になっても牛車(ぎっしゃではなく、うしぐるまと読む)は、輸送用に広く使われていたのだ。東京のそれも区部で多数の牛が飼われていたことも知らなかった。戦後になってやっと牛車はいなくなるが、自動車に完全に取って代わられるまで、まだ残っていたのだ。できれば、輓馬と牛の数や輸送量の比較もしてくれていたらうれしかったのだが。

章ごとに完全に独立した内容なので、どこから読んでも、拾い読みしても可。内田樹に対する痛烈なイヤミも書いてあって痛快。わたしも内田樹はあまり好きじゃない。というより、おもしろい文章はおもしろいが、最近の内田樹はろくに知らないようなことに対して粗製濫造で文章を書きすぎている。誰か止めてやればいいのに。