地球最後の男

リチャード・マシスン田中小実昌訳)『地球最後の男〈人類SOS〉』早川書房、1971


リチャード・マシスンもとうとう先月亡くなったので、古本屋で拾っていたこの本を読んでみた。この版は、翻訳自体は1958年に『吸血鬼』として出ていたものを、映画「地球最後の男 オメガマン」の公開に合わせて改題したもの。表紙と裏表紙には、映画でのチャールトン・ヘストンの写真がついている。現行訳は改訳されたものなので、この版は図書館か古本屋でしか手に入らない。

1964年のシドニーサルコウ、ウバルド・ラゴーナ監督の「地球最後の男」はなかったことになっているらしい。といっても、この映画は見ておらず、「オメガマン」しか知らないのでしょうがない。今回、原作を読んで、「オメガマン」がかなり原作を改変していることに呆れた。「オメガマン」はかなり好きだったのだが、原作は別作品。テイストは原作の方が圧倒的によい。

改変されているポイントはたくさんあるのだが、
1.襲ってくる相手は、「吸血バチルス」によって変異した吸血鬼。
2.主人公ロバート・ネヴィルは物語の最後の部分になるまでほぼ孤独に生活。
3.ネヴィルが助けた女は、バチルスが変異した「吸血鬼にならなかった感染者」で、この変異種集団が送り込んできたスパイ。
4.ネヴィルは血清の開発などしないで、変異種集団に殺される。
5.ネヴィルは、死の間際に世界中が吸血鬼か、その変異種になってしまった状態では、自分こそが「最後の怪物」になってしまったことを知る。
というもの。

吸血鬼という設定を利用しているが、この原作はほぼ「ゾンビもの」だ。もちろん、「ゾンビもの」の方が後にできているので、マシスンの小説こそ「元祖ゾンビもの」ということになる。

さらに、多くのゾンビものとは異なり、主人公は基本的に孤独で、同種の仲間(吸血鬼でない人類)はほかにいないというところがポイント。「オメガマン」はこの孤独さをそのまま映画にしなかったおかげで、チャールトン・ヘストンが大活躍するヒーローものになっている。2007年の映画化作品「アイ・アム・レジェンド」も「オメガマン」よりのラインで改変されているそうなので、ざんねん。

ゾンビものの映画は、「吸血鬼」という設定を捨てているので、この小説とはテイストが違うが、ゾンビ映画をいろいろ見てしまった後でマシスンを読むと、マシスンが古色蒼然としているような感覚になる。訳者の田中小実昌も「吸血鬼ものの一種」と考えているようなので、自分の感覚は後から生まれてきた者特有の錯覚なのだが。

この小説を読めたことで、「オメガマン」やゾンビ映画の系譜の関係がいろいろとわかってよかった。1964年の映画もなんとかして見てみよう。