なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか

Chim↑Pom・阿部謙一編『なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか』河出書房新社、2009


2008年10月に広島で、飛行機雲で「ピカッ」という文字を描いて騒ぎになった事件についての、顛末記。編者は、事件の当事者である作家のChim↑Pomと編集者。掲載されている文章のほとんどは美術評論家のもので、それにChim↑Pom卯城竜太による、当事者としての記録がつく。

美術評論家の文章は大半がつまらないもので、「人を傷つけるのはよくない」とか、「ヒロシマの心がわかってない」とかいう小学生への説教みたいなもの。この手の文章は読むだけムダ。

簡単な事件の経緯が巻頭においてあるが、これは主に創作の経緯を書いてあるもので、それがどのように「事件化」したのかについてはこれではよくわからない。当事者の卯城竜太の文章は巻末においてあって、これを読むとどういう形で問題が大きくなっていったかがわかる。この記録を本来、最初に持ってくるべきだろう。

この「事件化」の経緯は本来はメディアの報道を追いかけるのが一番いいはずだが、巻末の編者あとがきを読んで驚いたのが、地元紙の中国新聞が、「引用以外の二次使用は一切許可しない」と記事の転載を理由を明示せずに拒否してきたこと。お里が知れるとはこのことで、中国新聞は自分がこのくだらない騒動を煽っておいて、事件を大きくした自分の行動については封印するつもりなのだ。

この本を読むと、広島の一番気持ちの悪い部分、つまり「原爆については、勝手な発言は一切許しません」というくだらない言説が実際の権力として機能していることがよくわかる。核となっているのは「被爆者団体の見解」だが、それは適当にコピーされて使われているにすぎず、実際に力を持っているのは、「被爆地広島に逆らうことは許さない」というメディアや行政(この勢力は基本的に一体)の言論ブロックである。

田舎などどこでも同じようなものだが、被爆者の心情だのヒロシマの心だのという言葉は、地方権力の外でも影響力があるので始末に負えない。被爆者団体の老人は、「核兵器反対 ピカッ」ならよかった、とか、アホなことを言っているが、なんでもかんでも自分たちの意見が通らないと気が済まないらしい。

さらに笑えるのは、同時期に蔡國強の「黒い花火」パフォーマンスが行われていて、そちらは事前に被爆者団体に話を通していたので問題にならなかったという事実。「おれたちに先に話を通さないで勝手なことは許さない」というレベルの話で、ヤクザと大差ない。

「ピカッ」という飛行機雲が空に描かれて、それで誰が不快に感じても、「そんな不快感がいったい何なのか」ということなのだが、社会の同調圧力というものは全くおそろしい。これが日本の地方社会の典型的なパターン。唯一の救いは、卯城竜太の文章の終わりに描いてある、原爆ドームの上でChim↑Pomの文字が昇天するイラスト。これは笑えた。