ある防衛大学校生の青春

木本寛明『ある防衛大学校生の青春 治安出動はついに訪れず』光人社NF文庫、2012


著者は1945年生まれ。防衛大学校12期(1968年)卒、機甲科で戦車連隊長、主任研究開発官等を務めて一佐で退職という経歴の人。この本は小説の形で1960年代後半の防衛大学校陸上自衛隊の初級幹部の生活や考え方を描いたもの。

今とは比較にならないほど自衛隊に対する社会の目が冷たかった時期のことなので、防大生や下級幹部が「自衛隊とは一体何なのか」についてかなり悩んでいたことがうかがえる。それが「憲法改正自衛隊の国軍化」という主人公の期待として表れる。

一方で社会は70年安保を控えて騒然としており、自衛隊にも治安出動を準備せよとの命令が出て、実際に市ヶ谷、練馬、朝霞の駐屯地で自衛隊がその準備をしていた様子が書かれている。機関銃には実包が支給され、戦車には催涙ガスを放出する装置がつけられている。しかし、実際に出動した場合にどういう状況で発砲するのかということについての具体的な判断基準は、この本に書かれている限りではあいまいになっていて、あくまで「現場指揮官の判断」ということで片付けられていたことになっている。実際に自衛隊が治安出動で出て行く可能性がどれくらいあったのかについては、この本の内容からはわからないのだが、発砲の基準が不明確な状態で自衛隊が出れば、死人がバタバタ出ただろうということは推測できる。

驚いたのは、主人公が憲法改正自衛隊の国軍化の機会が治安出動を通じて実現すると考えていたこと。クーデターでも起こして政府をひっくり返すという話ならともかく、そうではなくて、自衛隊の治安出動が憲法改正を実現するチャンスだと本気で考えていたらしい。今の常識で考えれば、自衛隊が治安出動して死者が大勢出れば、内閣は吹っ飛んで自衛隊に対する国民感情は悪化し、憲法改正どころではないことになると思うのだが、当時の防大生や下級幹部はそのようには考えてはいなかったということ。

著者自身があとがきで書いているが、70年安保反対運動は「間接侵略」などではなかったし、革命の準備など何もなかったのだから、自衛隊の出る幕はなかったのだろう。そうであっても、革命状況を逆転して憲法改正という発想があったことはおもしろい。主人公は三島由紀夫切腹事件に対してはほとんど同情を感じておらず、憲法改正を通じてどういう社会を実現するかについての具体的なイメージは何も持っていないらしいだけに、よけいに興味深い。