ポルノ雑誌の昭和史

川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書、2011


資料本というか、一種の奇書。著者は、1953年生まれ、編集者、官能小説家、写真家を経て、エロ本業界から足を洗い、タイにわたってそこで生活していたという人。

このタイトルがついているので、戦後の「カストリ雑誌」から書き起こされているのだが、中心的な記述は、著者がエロ雑誌業界にいた、1970年代後半から1980年代についてのもの。この頃は、自動販売機で写真中心のエロ雑誌がよく売られていたし、1980年代からは「ビニール本」という名前の、ビニール包装で開封できない(立ち読み不可の)雑誌がブームになっていた時期。この種の雑誌は、雑誌コードがついておらず、一般の書店流通のルートには乗っていなかった。著者によれば、この頃は雑誌コードを取得すること自体が難しく、廃刊された雑誌の雑誌コードが売られていたとのこと。出版不況が来るはるか前の話である。

雑誌一号の制作費はおよそ40万円。この中に全経費が入ってくるので、編集、記事の執筆、装丁などのふつうは複数の専門家が分担する作業をすべて一人でやっている。著者は写真もできたので、自分で撮影もしていたとのこと。ほんとのなんでも屋だ。当然、エロ本の中身は載っていないのだが、表紙だけはかなり図版が載っているので、どういう人がモデルだったかということはわかる。ちょっと昔風だが、それでも美人が多い。この時期以前のエロ雑誌の表紙も出ているのだが、明らかに「おばさん」が多く、モデルの質の差は歴然。

こういうエロ雑誌の編集者には、米沢嘉博亀和田武竹熊健太郎といった、後に名を成す人がけっこういたようだ。それなりにブームがあったので、いろんな人が集まっていたらしい。しかしこの業界では、「ブームになる」ことはデメリットであって、警察から目をつけられればすぐに潰されてしまうことも書かれている。版元もそのへんの事情はわかっていて、エロ本の自動販売機は、機械の償却がすめばさっさと撤去してしまうことになっていたそうだ。著者は、こういう商売を「ゲリラ戦」と言っている。

児童ポルノ・児童買春禁止法ができる前のロリコン雑誌についても一章とってあって、規制前にあったロリコン雑誌のモデルは、タイのチェンマイに行って、そこで女郎屋に売られる前の女の子(11歳と書いてある)をキープして、どんどん撮影しまくるということをやっていたとのこと。チェンマイ少数民族出身の子ども女郎は、最初は高値で華僑に買われるのだが、あっという間に値段が20分の1になるとか、いろいろととんでもないことが書いてある。

この本、聞き書きではなく著者の単独執筆らしいのに、文章の語尾が「だ」「です」で表記ゆれがあるなど、かなり適当に書いてある。ちくま新書だからちゃんと編集者が読んでいるはずだが、そういうところはこの著者に関しては直さないらしい。内容はおもしろいからかまわないのだが。エロ雑誌という商品は、もはやDVDのジャケットか、マンガとしてしか存在できなくなりつつあるのだが、DVD1枚が数十円なのだから、既発のDVDを適当に編集して宣材写真をくっつけて売るほうが圧倒的に安く、別ジャンルであるマンガを別とすると、この本で書かれているような「エロ雑誌」はもはや商売として成り立たない。

著者が書いているように、この分野には類書がない(官能小説にはあるが)ので、記録として意味がある本。