おどろきの中国

橋爪大三郎大澤真幸宮台真司『おどろきの中国』講談社現代新書、2013


橋爪、大澤による前著『ふしぎなキリスト教』の中国版で、中国の歴史から中国社会の構成、日中間の歴史問題、改革開放以後の中国まで、いろんなネタを鼎談方式でやってしまいましょう、というもの。この3人(および橋爪氏の中国人の奥さん)と編集者で、中国旅行をして、そこでの話し合いを本にしたらしい。前著同様、よく売れているようだ。

読んでみると、たしかにおもしろい。『ふしぎなキリスト教』と同様、大澤真幸が問題をたて、橋爪大三郎が答えるという形式。宮台真司はツッコミ役。

最初の部で「中国とはそもそも何か」という問題をたてているところは、いい。「国家」の枠組みでくくるには、多様すぎるし、複雑すぎる。といって「文化」「文明」といったのではあいまいでよくわからなくなる。そこを上手に説明しているのはよい。

その後の「近代中国と毛沢東の謎」「日中の歴史問題をどう考えるか」「中国のいま・日本のこれから」も、それなりにおもしろく読める。鼎談形式なので、読みやすい。

しかし、問題は、「一体この本に書いてあることは信用できるのか」ということ。橋爪氏はある程度中国のことはまめにウォッチしていて、関心もずっと持ち続けてきたようだ。しかし、中国専門家ではない。もちろん、中国専門家でない人が中国についての本を書いてはいけないなどということはないのだが、これだけ広い視点で中国のことを扱うのであれば、それぞれの分野での専門家に話を聞くべきではないのか。宮台真司を足すのだったら、中国研究者を加えるべきだろう。

こういう疑問をもつのは、『ふしぎなキリスト教』が教会関係者から内容のずさんさを手厳しく批判されているから。たしかに『ふしぎなキリスト教』はおもしろかったが、批判本を見ると、ちょっと看過できないような過ちが多数あることも事実。社会学者としては名のある人ばかりだから、問題をたてることはきちんとできるとしても、それに対する答えがこれでいいのかどうかについては、門外漢は簡単に判断できない。

話としてまあ、判断できるのは日中の歴史問題についての部分。これは、著者らの主張の当否をある程度判定できる。ここを読むと、橋爪、大澤、宮台の立ち位置は微妙にズレていて、しかも、そのズレを議論によってすり合わせることをしないままで話が終わっている。注意して読まないと宮台真司の見解に引きずられてしまいそうになるが、自分はこの人の見解に全部同意することはできない。

ということは、他の部分でも同じようなことがあるかもしれない。しかもデータに基いて実証的な議論をするというタイプの本ではなく、いくつかの事実を切り出して概念分析するというタイプの本。上手に切れていればいいが、強引な結論になりがちなパターンだ。中国専門家の見解を読まないと、なんとも評価のできない本。