裸の坊様

ネルケ無方『裸の坊様 異文化に切磋琢磨される禅プラクティス』サンガ新書、2012


ネルケ無方師の1年前の本。キリスト教と禅の話から始まっているが、多くは師が堂頭を務める安泰寺で師と修行者がどのような修行/生活を行っているかにあてられている。

安泰寺の歴史から説明されていて、60年代にはヒッピーが集まっていた時期もあったという。はっきりとは述べられていないが、風紀上の問題もあったようだ。それから人里離れた現在地に移転し、途中、経済的にほとんど立ち行かないところまで来ていたが、なんとかぎりぎりのところで寺を維持しているという。

師が、堂頭として、妻帯し、家族を持って寺にいることの問題についても率直に書かれている。家族がいれば家族の面倒も見なければならず、その分だけ寺の指導者として動く時間は削られる。安泰寺は、冬季にはほとんど外と交通ができなくなるので、冬は家族は別の場所に住んでいる。家族にこの不自由な生活をこれからの強いていいいのか、自分の修行はどうするのか、師といえども悩みはつきない。

しかし、その上で師は寺での生活を選んでいるので、そこにあるのは、生活即修行となった師の禅である。忘我というのは、他のことをすべて忘れて唯一つのことに集中することではない、それではパチンコに明け暮れて時間を過ごすのと変わらない、という師の指摘にはあらためて気づきを呼び起こされた。目の前のことだけではなく、過去や未来のいろいろなことに目配りしながら、早く、静かに、効率的に物事にあたって、それになりきること、人生のスープが自分の思い通りにできていないことに不平を言うことなく、そのスープに浸りきることが禅と師は言う。

この本では、ドイツ人としての師の立場からも明確な言葉がある。具体的には澤木興道師の戦争についての発言は容赦なく批判されているし、日本的なコミュニケーションのあり方を認めながら、それでも個人として言わなければならないことははっきりと言うべきだと師は言う。空気読め、ではすまないのだ。

師はこの4月にまた新しい本を書かれたらしい。Kindle版を早く出して欲しいが、がまんできないので買ってしまうかもしれない。