14歳からの靖国問題

小菅信子『14歳からの靖国問題ちくまプリマー新書、2010


数ページ読んで「これはくだらない本っぽい」と思ったが、結局最後まで読んでしまった。そして最後まで読んでもやっぱりくだらない。簡単に言えば、靖国神社をダシにして、自分の嗜好(かんたんに言えば「反戦平和主義」)の宣伝をしようというそれだけの本である。題名が「14歳からの」となっているのは、もちろん若い読者に対して書かれているということのほかに、著者の娘が14歳なので、直接には自分の娘にあてて書かれているという体裁をとっているため。

「はじめに」の部分にこのように書かれている。「戦死者を追悼する場を、怨みを晴らす決意をしたり、報復や復讐を誓ったりする場ではなく、平和と和解をつくりだす覚悟を新たにする、歴史の場にしていくことが私たちみんなの目標だということです。
戦死者のための祈念は、つねに平和のための祈念でなくてはなりません。この目標に向かって靖国神社を解いていけばよいのです」。

このとおり、著者は「自分にとっての目標」を最初に一方的に「みんなのための目標」だと宣言して、後はその「目標」に都合のいいように靖国神社を解剖しているだけである。なぜ著者のいうようなことが「みんなにとっての目標」にならななければいけないののかについて、真剣な検討がなされた様子はこの本からはうかがえない。つまり自分語りをしているだけである。靖国神社をめぐる困難の多くは、論者が「自分の立場を譲らない」ことだということを知っていれば(著者は、このことを真剣に理解しないようだ)、このような安直な話はできないはずである。

こういう著者の立場は、靖国神社について書かれた他の駄本、例えば高橋哲哉靖国問題』、田中信尚『靖国の戦後史』などと軌を一にするもので、当然この本の中でもそれらの本について言及されている。まあ、これらの本と同工異曲のもの。

この本の中で、著者は、靖国神社戊辰戦争西南戦争の「官軍側の死者は祀っているが、賊軍側の死者は祀っていない」としていて、そのことをアメリカのアーリントン墓地が南北戦争での南北両軍の死者をともに祀っていることと対比させているが、そういうことを言うのであれば、アーリントン墓地に、第一次世界大戦の同盟側の死者が祀られているのかどうか、第二次世界大戦での枢軸側の死者はどうなのか、アルカイダタリバンの戦闘員の死者はどうなのか、なぜそれらの死者が祀られていないのかについて、まじめに検討してみるべきだろう。

著者が「敵味方関係なく、すべての死者を祀り、戦争の廃絶と世界平和を祈念する追悼施設」がつくりたいのであれば、著者と考えを同じくする同志の意思と負担で、自分たちの行為としてやっていただきたい。税金を出して国家の行為としてやりたいというのであれば、反対者をも説得できる最低限の理屈を用意していただきたい。著者は最後に読者に対して「歴史を学べ」と言っているが、「歴史に学んで何を受け取るかということは、人によって違いますよ」という言葉をお返ししたい。