引き裂かれた約束

藤本健二『引き裂かれた約束 全告白・大将同志への伝言』講談社、2012


金正日の料理人』以来、北朝鮮最高指導部の内幕物を書いてきた藤本健二の5冊目の著書。2012年7月に訪朝した際の記録と、その後再度北朝鮮に入国しようとして拒否された顛末が描かれている。

これより前の著作では子供時代にあっていただけだった金正恩との再会の様子が非常に詳細に書かれている。金正恩は、「裏切り者」だったことを詫びる著者に対して、寛大に赦しを与える大人物としての位置づけ。著者の頭の中で、金正日金正恩が完全にダブって映っていることが読み取れる。

著者は非常に記憶力の優れた人物で、これまでの著作でも、北朝鮮に滞在していた頃の記憶を詳細に覚えて記録しているのだが、今回は訪朝して間もない時期にこの本を書いているだけに、描写は鮮明。自分を歓迎する金正恩主催の宴会場の様子と席次を詳しく書いているが、宴席にいた人物は金正恩の馬の世話をする女性たち以外は、夫人の李雪主金正日の秘書で実質的な夫人だった金玉、妹の金ヨジョン、国防委員会副委員長の張成沢、秘書室長の金チャンソン、労働党宣伝扇動部第一副部長の李在一、元スイス大使で金正日の金庫番とされていた李徹、それに通訳と、あと一人、名前のわからない重要人物。この最後の人物が著者に面と向かって、「あなtには心がない」と面罵したとされており、金正恩の面前で場の雰囲気を壊すようなことをあえてできたことなどから、よほどの地位の人物、おそらく国家安全保衛部の関係者と著者は推測しているが、実際はわからない。これらの人物が金正恩を取り巻く権力中枢にいる人々ということになる。

もうひとつ、興味深い記述は、著者の訪朝に関わった日本政府関係者、特に拉致問題担当大臣松原仁の無能ぶり。著者の再訪朝計画を聞いて、著者に対して、理由を説明せずに「どうしても訪朝を1週間延期してほしい」と頼んでいるが、結果は著者に何も依頼できないまま。著者は、この明言できなかった用件は、野田首相から金正恩への親書を預けることだったと推測しているが、もし松原大臣が著者をメッセンジャーとして使うつもりなら、あらかじめ著者にも、首相にもそれなりの根回しをしておかなければいけないはず。急に話を持ち出して、、やっぱりできませんでした、では無能の誹りを免れない。さらに外務省は、著者の訪朝後も一切著者から話を聞こうとはしていないらしい。縄張り争いか何かはわからないが、こちらも無能。日本政府は北朝鮮との交渉では下僚レベルでの話など大した意味はないことくらい知っているはず。なぜ金正恩に直接つながる手づるを使わないのか、意味がわからない。

著者の書き方は、これまでの著作に比べて、強く感情が入ったものになっていて、金正恩に対する感謝と畏敬の念、北朝鮮に対する感情的なつながりがはっきり出ている。出来事が生々しい最近のものであること以外に、北朝鮮に残している自分の妻子に対する感情が反映しているのだろうと思うが、ある意味、北朝鮮にとっては著者がこういう本を書いたこと自体が得点になっているだろうと思う。

巻末には、著者と交際のある、北朝鮮専門記者の毎日新聞編集委員鈴木琢磨の解説がついていて、理解の助けになる。