私が愛した大河ドラマ

洋泉社編集部編『私が愛した大河ドラマ洋泉社歴史新書、2012



大河ドラマについてのエッセイ集。執筆者は、時代考証者として小和田哲男田岡俊次、脚本家として竹山洋、ほかは、小谷野敦、ペリー荻野、加来耕三、春日太一ほか、大河ドラマのファンの人。取り上げているのは第1作「花の生涯」から、第50作「江 姫たちの戦国」まで。

ビデオのほとんど残っていない初期の作品から(当然、これについては、放送時にライブで見ていた執筆者の記憶ベース。この頃の作品は、ビデオが残っている限られたエピソードが、NHK時代劇専門チャンネルで再放送されただけなので、むかしばなしとしてしか読めない。

後の部分は、宝泉薫が「大河ドラマが変わったのは、1981年のおんな太閤記からで、それ以後、大河ドラマは史劇からホームドラマになった」と言っているところに納得。その後の作品はホームドラマ的ではない作品もあるが、橋田壽賀子は3回脚本を書いていて(しかも原作なしのオリジナル)、特に1996年の「秀吉」以後は、設定が違うだけで内容は現代劇と変わらないような話が増えてくるのだが、そのもとはすでに1981年からあったというおはなし。確かに「おんな太閤記」もそうだし、橋田壽賀子ドラマでは戦国武将が平和運動家みたいなことを平気で口にするし、「徳川家康」でも主人公は戦争をやりまくっているのに、「泰平」ばかり語るというおかしなことがふつうになっていた。宝泉薫は、そういう変化なしでは大河ドラマは今まで残っていないだろうと言っているが、確かにそのとおり。水戸黄門みたいな他の時代ものは、フォーマットが決まっているだけに、おはなしのスタイルを変えることがむずかしい。大河ドラマは、題材さえ過去に取れば、何をやってもかまわないので、いろいろ文句をつけられながらも、NHKに他の新企画が出るまでは続くのだろう。

加来耕三は、「作品そのものが通俗に流れている」とか、「視聴者に迎合しすぎる」とか、「ドラマを史実と混同する人を量産した」とか言っているが、ドラマはフィクションに決まっているのだし、NHKであっても視聴者の見ない作品をずっと作ることはできないので仕方がない。「平清盛」は、これまでとは違った解釈で史実を追いかけようとして、視聴率的には失敗しているのだし(自分は好きだが)。


竹山洋は、「秀吉」「利家とまつ」の2作を書いていて、両方とも視聴率的には当たりだったが、とりわけ「利家とまつ」は、最近数年間の作品の中でも最悪の部類だろう。小谷野敦は「ありえないほどひどい」「途中で見るのをやめたほどひどかった」と言っているが同感。全体としては手抜きな本なのだが、脚本家と「歴史好き」「ドラマ好き」の視聴者の意識の違いがかいま見えたところはおもしろかった。