大伴昌司の大図鑑展

「大伴昌司の大図鑑展」、弥生美術館、2012.9.25

弥生美術館でやっている展覧会。大伴昌司については、子供の頃の怪獣図鑑を作っていた人というイメージしかなかったので、この展覧会で、大伴昌司が何をしていた人だったのかということを俯瞰的に知ることができて、とてもよかった。

円谷のウルトラシリーズが、他の特撮作品と比べても子供に圧倒的に浸透していた理由の一つが、当時大量に発行されていた怪獣図鑑とのメディアミックスにあるということはいろいろなところで読んではいたが、この展覧会で並べられていた多くの図版によって改めてその事実を確認させられた。

テレビ番組だけでは説明されないことを、図版という形にして再提示されることが、ウルトラ怪獣のイメージを子供に浸透させることにどれほど貢献したかわからない。

これまで大伴昌司は、図版そのものを書いていた人だと思っていたが、絵は別の人が書いていたので、大伴昌司は、図版のアイディアとプランニングを考えていた人だということは、この展覧会で知った。

また、円谷のウルトラシリーズだけではなく、サンダーバードや他のSF 作品、怪談ものに至るまで、幅広い分野で図版のプランニングをしていたということも、ここで初めて知った。

1枚の絵は1万字に勝るというのが、大伴昌司が語っていた言葉だそうだが、まさしく至言だと思う。

大伴昌司は、36歳の若さで亡くなったのだが、怪獣図鑑というジャンル自体があっという間になくなってしまったことはそれである程度納得できた。これだけのアイデアを出せる人だったのだから、長生きしていれば子供向けのSF というジャンル自体にもっと違った展開があったかもしれない。

怪獣図鑑以外にも、ミステリ同人誌や、恐怖文学に関する同人誌にも寄稿していて、ある意味オタクの走りだった人である。同じサークルの先輩だという事もわかった。展覧会のタイトルにもあるが、本当の奇人である。