海軍参謀

吉田俊雄『海軍参謀』、文春文庫、1992

単行本の発行は1989年。著者は、1909年生まれ、海兵59期。大本営海軍参謀、終戦時は中佐という経歴の人。ほかにも海軍に関する著書がいろいろある。

それにしてもこの本を読んでびっくりした。日本海軍の参謀制度はシステムとしてぜんぜん機能していない。作戦参謀が「こうしましょう」と提案しても、司令官は応諾の決定をするだけで、参謀長や他の参謀たちが提案をチェックするようにはなっていない。ということは作戦参謀の思いつきで作戦の成否が決まってしまう。それも、いくつかの事態を想定してそれに備えるようにこちらの策を考えるようにはなっていない。たまたまそういうやり方がうまく行っていたのは、最初の半年間だけで、その後はバタバタと負けがこんできたのは、失敗から学習して態勢を立て直せるような組織になっていなかったからだ、という話。

前線部隊である連合艦隊だけではなく、海軍省や軍令部も同様。しかも信じられないほど少数のスタッフで仕事をしている。海軍省軍務局第一課のスタッフが7人。これでコピー機も秘書もおらず、すべての事務をこなしていたというのだから、どう考えても仕事量に対して人の数が足りていない。機密保持のためだったというが、それにしてもそんな人数では重要書類が棚の奥にしまい込まれて、誰もその内容を覚えていないということが起こるのも当然。

しかも、ミッドウェイの大敗北の後も、その戦訓の総括をまったくやっていなかったという。それで最後まで戦艦第一主義を脱却できなかったというのだからおどろいた。また、敗北しても人事を入れ替えることもやっていない。

太平洋戦争開戦の直接のきっかけになった南部仏印進駐にしても、陸軍の北進策を抑えるために、永野修身が「これは戦争になるな」と言いながらやったという。実際そうなったのだが、そんな重大な決定を政府、陸軍とろくに協議もせずにやってしまったというのだからたいへんだ。

また「作戦計画はあったが戦争計画がなかった」とも言っている。戦争計画はもちろん政府にもなかったのだから、見通しゼロで戦争をやっていたことになる。「限定戦争を想定していたが、全面戦争は想定していなかった」とも言っている。第一次世界大戦という実例が現にあったのだから、「考えていませんでした」では通らない。

著者は冒頭で、戦後にアメリカ海軍からの評価として伝えられたという、「日本海軍で一番よかったのは下士官、その次が兵と下級士官。上級指揮官と参謀が一番ダメ」という言葉をのせている。それも当然でしょうという内容。やっぱり阿川弘之あたりの仲間褒め本ばかり読んでいていはいけないわ。