わたしの少女マンガ史

小長井信昌『わたしの少女マンガ史 別マから花ゆめ、LaLaへ』、西田書店、2011

著者は、集英社に入って少年誌を経て「別冊マーガレット」担当の編集者になり、その後白泉社の設立に賛歌、「花とゆめ」「LaLa」「ヤングアニマル」「MOE」などを創刊、という経歴の人。

この本は、著者の編集者としての思い出を通じて、これらのマンガ雑誌や少女マンガの、主に1970年代から80年代の記憶をたどるもの。ちょうどわたしが子供だった頃は、LaLaが創刊されたばかりで、少なくなったとはいえ、まだ貸本屋があった。マンガ本だけでなく、マンガ雑誌のバックナンバーを格安で売っていたのでよく買っていた。

わたしは少年誌の絵柄やストーリーがまったく受け入れられなかったのと、小さい子供の頃はマンガを読むこと自体を親から禁止されていたので、少年誌は読んでおらず、マンガは少女誌から入った。一番呼んでいた頃は、「りぼん」「別冊マーガレット」「ぶ~け」「LaLa]と四冊買って、たまに「少女コミック」と「週刊マーガレット」も読んでいた。だいたい、著者が活躍していた時期とほぼ重なるので、出てくるマンガ家の名前が全部なつかしい。

貸本屋では、浦野千賀子アタックNo.1』とか、本村三四子『おくさまは18歳』とかもおいてあったが、当時(70年代後半)でもかなり古い作品になっていて、奥の方の棚にかなり手垢のついた状態でおいてあった。両方ともテレビ化された作品だったので、けっこうハマっていて簡単に読めた記憶が。

あと、「24年組」はちょうど売出し中だったので、こっちもガンガン読んでいた。当時、男でもちょっとサブカル(という言葉はなかったが)入っていて、マイナーな文化に心を寄せる人はたいてい24年組の作品は必読みたいになっていて、周りと作品について語っていた記憶がある。

というわけで何から何までなつかしい本だが、巻末の竹内オサムの解説によると、少女漫画誌の編集者による回顧録はほとんどないのだという。少女マンガが昔は少年マンガより一段低く見られていたということが原因ではないかと書いてあるのだが…。というわけで、いろいろな意味で貴重な本。

やはり巻末に著者が白泉社の社長になった時に発行された記念誌が転載されていて、少女マンガ雑誌錚々たる大家たちによる著者の似顔絵や著者へのメッセージが載っている。これもちょっとみもの。