愛国心と沖縄の米軍基地

大原重信『改訂版 愛国心と沖縄の米軍基地』、下田出版、2010

著者は、1935年生まれ、1962年調達庁入庁、1993年防衛施設庁次長で退官、という経歴の人。基本的には施設庁官僚として勤め上げた人である。本の前半部、「愛国心」が云々という部分は(著者はここが「言いたいところ」らしいのだが)、まあどうでもいい。問題は本の後半部分、「沖縄の米軍基地」。

著者は沖縄の米軍基地は整理縮小すべきだという立場で、普天間基地辺野古移設も「そんなの無理でしょう」という立場。防衛官僚であったにしては、かなり沖縄県よりの位置にいるようだ。もっとも、施設庁は基地対策、調達が主な仕事だったので、「地元より」の考えになってしまうということはあるだろう。調達絡みの汚職問題で防衛施設庁は解体されて防衛省に統合されたが、著者はこれには批判的。「地元に密着しないで、本省で出世することしか考えていない者に、基地問題の処理などできるわけがない」ということらしい。それは一理あるようにも思う。

ところが問題は、著者がアメリカが沖縄にいることの防衛上の必要についての議論をこの中でほとんどしていないこと。沖縄の基地はアメリカが奪ったものだから返せといったって、現に防衛上の必要があるからいるのであり、施設庁官僚であってもそのことはよくわかっているはず。沖縄県民の心情とかいうことは、補助的な問題であって、沖縄に米軍基地を置く議論の中心的な問題ではない。この認識を持たない人間が施設庁の中心的なポストを占めていたということに驚く。著者は、「日本は愛国心がろくにないから、アメリカ頼りでいつまでも属国待遇」といいたいらしいが、それではいまアメリカが果たしている役割を日本が代わってできるのか?そんなこと、高級官僚がわかっていないわけがないだろう。

まあ、官僚にもいろんな人がいるし、この人はすでに退官した人なので何を言っても自由。それにしても、なぜ普天間基地の代替施設が沖縄県内に必要かということをちゃんと防衛官僚が認識していないとすれば、それはまずくないか?