ウクライナの至宝 スキタイ黄金美術の煌き

ウクライナの至宝 スキタイ黄金美術の煌き」、広島県立美術館

9月から2ヶ月もやっていた展覧会なのに、行ったのは最終日の11月13日日曜日。しかも、行こうと思って買ってあった前売り券を探したが出てこない。行かないのもくやしいので、結局当日券を買って行ってきた。あいかわらずまぬけの極み。

タイトルをよく見るとわかる(よく見なくてもわかる)のだが、展示品のほとんどは「ウクライナにある、スキタイ美術の品物」である。紀元前9世紀の「キンメリオイ時代」から始まっているので、当然ウクライナなど影も形もでてこないし、そもそも当時ウクライナにいた民族集団と今のウクライナ人にはなんの関係もない。

そのキンメリオイの文明も、それに続くスキタイ(紀元前7世紀~紀元前3世紀)文明も、要するにギリシャの周辺文明である。まあド素人がこんなことを言うのもなんですが、器の形やら彫刻の様式やら、ギリシャのそれと同じ。だいたい、ギリシャの植民都市は黒海の北岸にも点在しており、キンメリアやスキタイはそこからやや内陸部にいたので、つながっていて(というよりはマネをして)あたりまえ。そういうことなら、そのギリシャ植民都市の遺物も、ウクライナの至宝にならないのか?このあたりはよくわからない。

展示品のほとんどは金細工。よって、2800年前だろうが非常にキレイ。細かいものでも原型通り残っている。昔の人が金を珍重した理由も納得というもの。金細工の多くは衣服につけていた装飾品なので、「元はこうだっただろう」という姿が布に装飾品をつけた状態で展示してある。それを見ると、なるほど昔の遊牧民の遺物に今のウクライナ人がつながりを感じる理由がすこしわかる。

終わりの方になって、やっとキエフ・ルーシ時代の工芸品やら、18世紀の工芸品が出てくる。当然ながら、こちらは細工もすばらしく、銀製品も美しい状態で残っている。キエフ・ルーシはウクライナの直接の祖先なのだから、こっちにもっと共感を感じないのだろうか。さすがに18世紀だとまるっきりロシアの一部でしかないので、そこにウクライナを無理やり見つけるわけにもいかないのだろうが…。でもこっちの方が明らかに美しいのだ。

この前、小川万海子『ウクライナの発見』、藤原書店、2011を買ったので、とりあえずそれを読まなくては。というか読んでから展覧会に行けばよかった。最近、そういう反省ばっかり。