洞窟オジさん―荒野の43年

加村一馬『洞窟オジさん―荒野の43年』、小学館、2004

中学生、13歳で家出して以来、43年間社会を離れて、ひとり山中に生活していた人の半世紀。著者が自動販売機から小銭を盗もうとして捕まった時、新聞にこの人の驚異の人生について記事が出ていて、それを覚えていたので、この本を読んでみた。もう絶版なので、図書館に所蔵されていたのはラッキーだ。

戦後間もない時期に、親に殴られ続ける生活に耐えられなくなって家を出るのだが、ほとんど死にかかった時も著者には「家に帰る」という考えはなかったらしい。連れて行った犬のシロが、半死半生になったところを耳にかみついて起こしてくれる場面は泣ける。

持って出た食料を食べつくしてしまうと、あとは自分で食料を探さなければいけないわけで、本当の狩猟採集生活をしているのである。ヘビ、カエル、カタツムリは当然として、食べられそうなものは何でも食べている。昔の話とはいえ、ただの中学生が何も知らずに山の中で生活するのだから、書ききれないくらいいろいろなことがあったのだと想像する。なにしろ、何が食べられて、何が食べられないのかは試してみないとわからないので、すべてが試行錯誤の毎日だったはず。

著者の行程は群馬県からはじまって、新潟県から山梨県に及ぶ広い範囲の山中を渡り歩いていたらしいのだが、細かいことは不明。しかし他人とまったく接触がなかったわけではなく、珍しい花をとって売ったり、親切な老夫婦に食事と宿を提供されたりしていて、何らかの人との接触はある(完全に接触がなければ、着るものに困るだろう)。しかし著者にはまた社会に戻っていこうという意思がなかったようだ。性欲なんかはどうしていたのだろうと思うが、驚くことに女性との性体験もちゃんとあるのだ。しかし著者にとっては、それは快楽というよりは驚きと恐れにしかならなかったらしい。

結局、釣りがきっかけで知り合いが出来、警察のお世話になった後は釣り仲間だった人が身元引受人になって、住み込みで仕事を覚えて社会生活を再開するのである。しかし43年間も意識的に人里を離れて生活していた人にとって、他人と暮らすということは抵抗なく受け入れられるようなことなのだろうか。こうして本も出しているのだから、なんとか順応しているのだと思うが、著者にとって人界での生活がどう受け入れられているのかはやはりわからない。

できればまめな聞き手がついて、もっといろんなことを聞き出してくれるといいのだが。いや、この本を書くことだって、編集者は相当な苦労があっただろう。中学生以来読み書きなどしていない人が本を書いたのだから。普通の人になった著者をわずらわせるのも申し訳ない気はするが、この人の中にはサバイバルの達人というのではすまされないようなものがいろいろとあって、それはきちんとした記録を残すに値するように思うのだが。