北の後継者 キム・ジョンウン

藤本健二『北の後継者 キム・ジョンウン中公新書ラクレ、2010

金正日の料理人」として有名な著者が、自分の目で見た金正恩の姿について語った本。この本が出版されたのが2010年10月で、脱稿時点で労働党代表者会はまだ開かれておらず、「金正恩」の表記がわかっていなかったので、タイトルも、本文での表記も一貫して「ジョンウン大将」となっている。ただ、それまで流布していた「金正雲」の表記が正しくなかったことにはちゃんと言及されている。

これまで北朝鮮の内部事情をいろいろと本にしてきたのに、まだネタが残っていたのかと正直おどろいた。しかし、この本は決して「出しガラ」ではなく、著者でなくては知りえない事実がいろいろと入っている。

著者が、金正日の近くに料理人として侍っていたことはこれまでの著作にあるとおりだが、正式の「労働党秘書局秘書室員」(書記局の職員)としての地位を持っていたことはこの本ではじめて知った。このポストを獲得してからは、著者は軍関係者が出席する内輪のパーティーにも出られるようになったという。

金正日とその周りの人々(張成沢高英姫ら)の細かい描写がされているほか、もちろんタイトルどおり、金正恩と著者の関係、二人だけでの長時間にわたった会話の詳細まできちんと書かれている。著者は91年に日本に「脱出」しているのに、よくこれだけのことを覚えているなあと思ったが、ちゃんと日々の出来事について詳細なメモをつけていたのだという。多くは脱出時の混乱で紛失したそうだが一部は残っていて、後に本を執筆する材料になったとのこと。単なる料理人として北朝鮮に渡った著者がよくそこまで気がついたものだと驚く。

記述はこれまでの著書と同じく、率直で、知らないことについては知らないとちゃんと述べており、信用がおける。著者の記述の信頼性については、解説を書いている読売新聞の菊池嘉晃記者も保証している。そういえば、先日ウィキリークスで日本諜報機関(内閣調査室か警察か公安調査庁かは不明)が「信頼できる情報源は、実質的に藤本氏だけ」と述べていたとされているので、この本の価値はますます高くなっている。

金正恩が幼少のころから指導者としての器量と後継者としての自覚をもっていたことが、いろいろなエピソードから垣間見られて、その点からも非常に興味深い本。金正男が早い段階ですでに後継者候補から外れており、北朝鮮内部では危険視されていないだろうという評価もおもしろい。