没後120年 ゴッホ展

「没後120年 ゴッホ展 こうして私はゴッホになった」、国立新美術館

国立新美術館ゴッホ展。平日だったが、会場は客でいっぱい。まあゴッホからしかたがない。

この展覧会はアルル時代以前のゴッホの作品、とくに素描や、ゴッホ自身が収集していた版画、ゴッホに影響を与えた画家の絵といったものを展示することで、「ゴッホの絵がどのようにできあがったか」の過程を追うことが趣旨。

たしかにゴッホは一日にしてならず。遅く絵を始めた分、ものすごい集中力で絵を描きまくっている。とりわけ素描はこれでもかと描いている。やはり素描が描けなければ絵は描けない。しかもゴッホは美術学校に行ったり、特定の先生についていたわけではなく、ほぼ独学で絵を学んだのだから、その分他の絵描きの絵からより多くのものを学ばなければならなかったわけで、周囲のすぐれた絵描きから、どんどん盗むものは盗んで、その上で自分の画風をつくっている。

しかも晩年、精神を病んでからも、絵を描くペースは落ちず、敷地外への外出禁止の療養所の中にいても傑作をバシバシ描いているのである。とにかく全部を絵に捧げきっているのはすごい。凝縮された人生の極致というものですね。

今回は時間がたっぷりあったので90分くらいかけて全部の作品をゆっくり見て、音声ガイドも聴き、短い紹介映像もしっかり見た。やっぱり時間のないときに展覧会に行くと、見方が粗雑になるし、素人は音声ガイドを聴いたほうがよいに決まっている。最近、展覧会が終わるぎりぎりの日になってから出かけて走るように見たという経験が何度かあったが、そんなことなら行かないほうがまし。ちゃんと時間をかけてきちんと絵に向きあう必要を痛感させられた。

木曜日は、美術館のとなりの「旧第三連隊兵舎=東大生産技術研究所跡」の展示スペースが公開されている日なので、そっちもゆっくり眺めてきた。「ブラタモリ」でやっていたけど、この建物はいい。取り壊しが決まってから保存運動をしたが、「もう遅い」と言われながら、なんとか建物の一部だけ残せたとのこと。いまは模型と、報告書、そしてビデオが昔の姿を伝えるばかりだが、一度は行ってみるべきところだと思う。

帰りに、地階のミュージアムショップで、「大作曲家の胸像」シリーズのガシャポン大人買いシューベルトが4つも出たのに、なぜショパンが1つも出ないのかなあ。4000円くらい使って全部さらってきたのに。悲しい。